ストレスがかかる時の自分の反応を知る

私たちは自分の「行動」や「ふるまい」をほぼ意識することなく自動的に繰り返しているそうです。

 

私たちは、とても論理的にロジカルに考えて動いているつもりでも、人間は「感情の生き物」なので、実際には「傷つきたいくない」や「恥をかきたくない」といった動機の方が強く影響するからです。

 

そうしたパターンがより顕著になるのは、ストレスがかかった時です。

 

とくに、「生身をさらすように (vulnerable)」感じる時です。

 

例えば、

・昇進したけど成功する自信がない時

・初めてデートをするとき

・新しいビジネスを始める時

・新製品に何の反応もないとき

・批判やうわさに立ち向かうとき

・自分の作品や文章を発表するとき

・愛していると伝えたけど、相手の気持ちが分からないとき

・妻・夫・パートナーをセックスに誘うとき

・3度流産した後で妊娠がわかったとき

・恋に落ちたとき

・新しいことに取り組むとき

・一般受けしない意見を言うとき

・家族をなくしたばかりの友人に電話をかけるとき

などです。

 

なんというか、このような状況って必ずしも「心地いい」ものではありませんよね。

 

できたら避けたいなあ。。。

なーんて、思いますよね。

 

だから私たちは、こういう「心地悪さ」や「ストレス」を感じた時に、ほぼ自動的に自分を守る体制に入るするそうです。

 

例えば、

何も感じないように自分の心を麻痺させる。。。

完璧主義になる。。。

クールを装ってみる。。。

先手を打って誰かを攻撃したり批判したりする。。。

何も問題がないふりをする。

などなど。

 

こういう風にすれば、傷つかなくて済むと思っているのです。

一種の「精神的な武装」と云えます。

 

でも、本当の意味では自分の課題を解決したとはまったく言えないですね。

 

こういう反応は、ほぼ自動的にしているので、まずは、自分はストレスを感じた時にどう振る舞いがちかという自分の「ストレス反応」を知ることが大切です。

 

自分の反応のパターンを知っておくことによって、負荷がかかった時の自分の状態や反応を客観的に見れるようになるからです。

 

自分の反応を客観的に見えるようになれば、より落ち着いて目の前の状況を理解できるようになる「スペース」を持てるようになりますね。

 

そうした観点から、よくあるストレス反応のパターンについて一緒に見ていきたいと思います。

 

表現する vs. 内にこもる

感情をコントロールできる vs 感情爆発型

向き合う vs 避ける

自分には出来ることがある vs 自分には何もできない

自分優先 vs 相手優先

 

続く

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伝える人必見!世界一流の指揮者から学ぶ「ひらめき」を与える方法

先週は、世界最高峰のオーケストラと言われるウィーンフィルの演奏と世界的指揮者として知られるズービンメーター氏の指揮に触れる機会がありました。

 

ちなみに、これは、アークヒルズ音楽ウィーク・サントリーホール30周年記念の一環で、ライブビューイングとして無料で公開されました。3部のみでしたが、十分に聞き応えがありました。素晴らしい企画をしてくださった森ビル・サントリーホール事業部の方に感謝です。

http://liverary.tokyo/entry/detail.php?id=12034

 

あまりに楽しみで、前日からワクワクして、6時間も前からサントリーホール前をうろうろしてたと言ったら後でジョインした友人たちに笑われました(笑)

 

ズービンメーター氏(ウィーンフィルのニューイヤーコンサート過去最多指揮の一人)の指揮は本当に素晴らしく、彼の演奏に触れた後はしばらく文字通り「恍惚状態」でいました。

 

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「😲『巨匠』ってこういう人のことを言うんだ💡💡💡」

 

私の中でひらめきのライトが点灯して、そして、どうしても知りたくなった。

 

彼はどうやってあの領域に至ることができたのか???

 

 

という訳で、彼が登場するインタビュー動画をこの一週間で聞きまくり、観まくりました。

 

そして、この週末は、ジョナサンノット指揮のブラームス一番(東京交響楽団)を聴きに行きました。

 

これからヨーローパ演奏ツアーに出かけるという彼。

ブラームス一番はとても好きなので、チケットは数ヶ月前から予約していたし、演奏は十分に楽しませてもらいました。

 

ですが。。。

 

なんと言うか、指揮に力が入っていた。

 

先週のマエストロの指揮は、完全に自分という「器」を通じて音楽を奏でていらしゃったので、まったくそんな力を感じるどころか、すごくリラックスした気持ちになりました。

 

かえって先週の巨匠の演奏がいかに「格別」だったかがより一層浮き彫りになって、なんだかやけに「納得」して帰路につきました。

 

巨匠ズービンメーターがどうやってあの領域に至ることができたのかは、まだわかりません。

 

ただ、彼がインタビューで言ってたことで印象に残ったこと。

 

「指揮者の仕事とは、偉大な作曲家が残してくれた偉大な音楽をその意図通りに最後の一ミリまで再現することです。そこに『私』が入り込む余地はまったくありません。

 

その偉大な音楽を少しでも再現できた感じる時、とても謙虚な気持ちになります」と。

 

フランス人の指揮者シャルル・ミュンシュは、リーダーシップに関する本質を書いた本としても知られる著書「指揮者という仕事」の中で、指揮者の仕事についてこう言っています。

 

「壇上に立ち、第一拍を振り始める瞬間、あなたには無数のまなざしが向けられ、観客はそれぞれが自分の光と熱をそこから汲み取ろうとする。」

 

 

「指揮者(conductor)という言葉自体には統率するという意味も含まれていますが、大事なのは、命令を与えるというよりも、自分自身がそれを身振り、態度、そして抗じ難い放射によって、表すことです。

 

…(中略)…

 

この瞬間には、音楽の知識はほとんど役に立たない。指揮者に求められるのは、ただ生きること、ハートを脈打たせ、魂をふるわせ、あなたの感情を歌わせることだ。」

 

確かに、そういう音楽はハートに響きますよね。

 

そんな音楽に触れると、思考はいつの間にかどこかに行ってしまい、

 

直感がおりてきたり

何かが腑に落ちたり

何かが突然分かったり

洞察やインスピレーションを受け取る

 

ことはよくあります。

 

音楽を通じて表現されるハーモニー(調和)のエネルギーが、人間のもともとの調和の状態を思い出させてくれ、源とつながりやすくなるのでしょう。

 

 

ミュンシュはさらに言います。

 

「指揮者が楽曲を忠実に再現することによって、聴いている人の思考や感情が指揮者の思考や感情と同時に再創造される。」

 

まったく個人的な感覚ですが、ズービンメーター指揮から醸し出される音色からは「人類への祝福」すら感じました。

 

しかも、荘厳なだけでなく、繊細で柔らかくて甘い音色。。。

 

マエストロの意識の状態を借りて、より高い、より広い意識の世界・景色を垣間見せてもらったのかも知れません。

 

世界一の記録を打ち立てた深海ダイバー、ジャック・マイヨールの映画を見る人は、マイヨールが潜る時の「変性意識」の状態につながり、映画館を出る時には恍惚状態で出てくると言いますが、きっとそれと同じ原理なのでしょう。

 

ただ大事なのは、その調和の状態もインスピレーションも「ゾーン」の状態も、音楽など外からもたらされるものではなくて、元々いつでも自分の中にあるということ。

 

しかも、常に調和した状態で「ゾーン」にいられることも可能らしい。

 

そう、世界的なカウンセラーである私の先生が言ってた。

「『オン』も『オフ』もないのよ。」

 

音楽を奏でる人は音楽を通じてひらめきを与える。

 

講師・カウンセラー・コーチは言葉も話すけど、言葉を超えた部分でひらめきを与える。

 

目指せ~(*^-^)ニコ 巨匠の世界。

グーグルと国連で求められる究極の「訓練」②

グーグルと国連で求められる究極の「訓練」①

 

認知の力を鍛える方法の1つは、脳の機能を踏まえた上で、自分の思考や見方を、いい・悪いといった評価や判断をくだすことなく、「第三者の目」で観察することです。

メンが勧めているのは、毎日2分間、ただ頭に浮かぶことをありのままに浮かび上がらせる練習です。この意図は、自分のなかで自動的に発生する思考に、より意識的になることです。それによって、自分の思考とそれに対する反応の間にあるギャップに気付くことができます。

認知の力を鍛える次のステップは、相手の視点に立って同じ状況を眺めることです。ある状況に対して、自分の視点だけではなく、他者の視点から俯瞰できるようになると、文字通り視野が広がり、対処できる選択肢の幅が広がるからです。

 

この認知のプロセスを、メンはエンジニアらしくこう表現しています。

「自己統制が上手くなるのは、復元メカニズムをアップグレードするようなものだ。問題が発生した後、システムがどう復元するかを把握していれば、問題が起きたとしても落ち着いていられる」と。

 

グーグルは、先入観や偏見にとらわれない見方ができることは、仕事における生産性・創造性に影響する、そして、すばらしいリーダーシップを発揮するための鍵だと考えているのです。

 

グーグルでは、この自己認識力を高めるため、「相手は私とまったく同じ人間」と考える練習をするそうです。

 

メンは言います。「私たちは、相手のことを、顧客や部長、交渉係ではなく、ひとりの人間だと気づかなければならない。相手も私とまったく同じ人間だ。そう思えれば、どんな場面でも信頼構築のための下地が作られるだろう。難しい状況ではとくにそうだ。」

 

たしかに、こちらが相手に対してなんらかのネガティブな印象や見方を持っていると、たとえ言葉にしなくても、相手との距離や抵抗を生むものです。人はそうしたこちらの態度を感じ取るからです。

 

私自身、内戦を戦った軍隊の人たちとの関わりを通じて、相手を同じ人間だと見れるかどうかが、仕事の結果を左右するくらいに重要だったと痛感した体験があります。

2012年、私は米軍の専門家として、国連の平和維持活動(PKO)に参加するアジアの軍隊に派遣され、国連PKOに関する研修の講師を務めるという仕事をしていました。

 

派遣先の一つはスリランカ軍だったのですが、打診を受けた時、私の頭にまっ先に浮かんだのは「えっ、あのスリランカ軍?!」でした。スリランカと言えば、シンハラ系住民とタミル系住民との間で26年にも渡って内戦が続き、「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」による爆破テロが日常茶飯事だった所です。

 

⬆️ 首都コロンボからインド洋を眺める。内戦中にはこの道路沿いにいくつもの関門があったが、内戦が終わって市民が自由に散歩できるようになった。

 

スリランカ軍もLTTEへの弾圧を強め、反対派を黙らせるための拉致(強制失踪)の数は世界一とも言われました。2008年にはLTTEの拠点を続々と攻略。内戦の最終局面では、追い詰められたLTTEが、北部の半島で身動きが取れなくなった33万人の一般市民を「人間の盾」にとり必死の抵抗を試みる中で、軍は圧倒的な武力で制圧を敢行します。(数字は国連事務総長専門家パネル発表)

 

結果、双方によって一般市民が巻き添えになる形で殺され、内戦終結前の5ヶ月間だけで4万人以上もの死者を出す結末となりました。軍は、市民の巻き添えをゆるしただけでなく、その間の人道援助の輸送を妨害し、病院を意図的に攻撃するなど「人道に対する罪」を国連などから追及されている「張本人」だったのです。

 

私自身、内戦中のスリランカを訪れたこともあり、自分が数時間前に車で通ったばかりの幹線道路上で爆破テロがあったことを知ったこともあれば、爆破テロで燃やされたバスの残骸を見たこともあり、スリランカ内戦の「重さ」については少しは分かっているつもりでした。

 

さすがに数日迷ったものの、結局引き受けようと思ったのは、そうしたことも含め、内戦が終わった後のスリランカの状況を、自分の目でありのままに見てみたいという気持ちでした。

 

研修で私が担当することになっていたテーマに関するリサーチやプレゼンの準備は進めていたものの、私がなによりも決定的に重要だと感じていたのは、直接的にも間接的にも何万人もの人たちを殺したかも知れない人たちに対して向き合うことができるかという私の中の「心の準備」でした。

 

 

 

内戦を戦ってきた軍人を相手に私はいったい何を伝えることができるんだろう?

私の役割はいったい何だろう?

 

それに対する答えはすぐには出なかったけれども、そのためにも、まず私は彼らのことを理解しなければならないーそれに対しては強い確信がありました。

 

軍人であることを職業にするってどういう事なんだろう?

もし私が制圧に関わった一人だとしたら今どういう気持ちなんだろう?

本当に紛争が終わるってどういう事なんだろう?

 

私は出発までそんなことを思い巡らせていました。

 

こうした「心の準備」が功を奏してか、スリランカに到着し、スリランカ軍の施設に移動しても私は落ち着いていました。

 

首都のコロンボでは、紛争が終わった街の活気と開放感を感じながら、「ああ、紛争が終わるってこういうことなんだあ」、とインド洋を眺めながらしばらく感慨にふけっていました。

 

そして、軍や政府、街の人たちなどと接していく中で、リアルに迫ってくる感覚があるのを感じていました。

 

それは、あえて言葉にするならば、「もう戦争はたくさん」「なぜこの内戦をゆるしてしまったのだろう」という、軍やLTTE、シンハラ系、タミル系といったものを超えた、あたかも社会全体を覆っているかのような圧倒的な葛藤と苦しみでした。

 

その葛藤と苦しみを感じた時、相手が軍服を着てようが、大佐だろうが、ただ苦しみを持った人間にしか見えなくなったのです。

 

こちら側のそうした態度が伝わったのか、研修は順調に進みました。スリランカ軍の参加者が個人的な体験を話し始めるなど、国連や外部の立ち入りや調査団を何度も拒否してきたスリランカ政府の歴史から考えても、驚くような展開もありました。

 

まさに「相手を同じ人間として見る」という力を感じた瞬間でした。

 

「この人は私とまったく同じで、体と心をもっている。

この人は私とまったく同じで、悲しかったり、怒ったり、傷ついている。

この人は私とまったく同じで、苦しみから解放されたいと願っている。」

 

 

これは、仏教の「慈悲」(compassion)の教えを基にグーグルで実践されている瞑想の一つだそうです。

 

 

当時私はこの言葉は知りませんでしたが、私がスリランカで感じた心境を表しているように感じます。

 

 

アリストテレスは言います。「ある考えに賛同することなく、それについて認識できることは学識ある心のしるしだ」

 

 

老子は言いました。「『慈悲』を持つものは、あらゆる戦いに勝利し、どんな敵に攻められても必ず守りきる。『慈悲』を持つものなら、常に勝者となる。」

 

グーグルで実践されていることも、紛争地で求められていることも究極的な意味では同じなのかも知れません。

 

どんな人でも「同じ人間」として見れるようになることは大きな「武器」になるのです。

 

 

⬆️ 慈悲のマントラをマレーシアの歌姫Imee Ooiの歌声にのせて

グーグルと国連で求められる究極の「訓練」①

彼のグーグルでの肩書きを聞くとみんな同じことを思うそうです。

「グーグルで『陽気な善人』というのは、いったいどんな仕事なんだろう?

しかも『それは誰にも否定しようがない』という注釈まで付いている。。。」

 

彼はグーグル初期の検索アルゴリズムを作った天才エンジニアらしい。

でも、何かコードを書いている訳でもなさそうだ。彼の仕事とはいったい???

 

実は、彼こそが、グーグルで受講待ちが絶えず、廊下まで人が溢れるほどの自己開発プログラムを開発し、この数年でシリコンバレー発の「マインドフルネス」ムーブメントを起こしている「火付け役」なのです。

彼の名前は、チャディー・メン・タン。グーグルの創設期のエンジニアだった彼は、組織の中核でバリバリと活躍していたものの、「職場で過ごす時間はもっと楽しくていいはず」と思い、それを可能にする研修プログラムを作りたいと思います。

メン(グーグルでの呼び名)は、職場で穏やかでいながら創造的であるための能力を育むツールとして瞑想に注目し、「仕事の時間の20%は自分が好きなことを学ぶ時間として使ってよい」というグーグルの制度を利用して、有志のグループと一緒に瞑想を始めます。

グーグルにはさまざまな自主学習のグループが存在し、メンの取り組みも、当初はその一つだったそうです。それが、徐々に社内で大きな話題になり、彼は、正式に研修プログラムの開発を担うことになります。

「エンジニアに平穏さを育む研修プログラムを作らせるなんて、なんて会社だろう!」と自分でもジョークにしている通り、メンは、グーグルのエンジニアらしく、瞑想の効果を、脳科学や医学における臨床結果を含め、科学的に証明されている最先端の研究結果を踏まえて検証していきます。

さらに、ダライ・ラマにも会いに行き、その分野における第一人者やリーダー達の知見を集めます。ダライ・ラマの意向にも沿う形で、メンは次々と協力者を得ていきます。

「これは、頭を丸め僧衣をまとった人たちのものではなく、実社会で暮らし、実業界で高いストレスを体験をしている人に向けたもの」とメンが言うように、EQや瞑想、マインドフルネスと呼ばれているものがどう仕事に役に立つのかを分析し、その上で「この方がエンジニアには説明がしやすい」と再構築され、まとめられたのが「サーチ・インサイド・ユアセルフ(SIY)」です。

SIYは、正式に開講されるやいなや、グーグル内で熱狂的に支持されます。グーグルに正式に導入されてからは、「仕事が楽しく創造的になり、かつ生産性を上げる」として有名企業によって次々と導入され、ザッポスのCEOトニー・シェイからも賛辞が送られています。

 

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⬆️ 世界26カ国で翻訳・出版! New York Times ベストセラー

 

「最も働きがいのある企業」の第1位にも輝き、自由だと言われるグーグルでさえ、職場で同僚たちと一緒に過ごす時間を含め、仕事を楽しいと思えるには努力がいるという事実を知って、思わず共感してしまいます。

 

SIYの内容については、同タイトルの『サーチ・インサイド・ユアセルフ』(英治出版)でも紹介されているのですが、SIYの中でも重要な要素として挙げられているのが、「認知の力」を鍛えることです。

 

ここで言う認知の力とは、次のような能力を指します。

(1)ある出来事に対する自分の反応と見方を理解する自己認識力

(2)他人が関わっているとしたら、同じ状況を相手はどう見ているのか、そして、どういう選択肢があるのかを客観的に眺められるようになる能力

 

では、認知の力を鍛えるとはどういうことなのでしょうか?それを理解する鍵の一つは私たちの脳の機能にあります。

 

脳科学の研究が指摘するように、人間の脳はポジティブなものよりもネガティブな情報や出来事に対してずっと強く反応するという特性を持っています。

この事は、私たちが目の前の人をどう認識するのか、という認知プロセスに関する理論からも説明することができます。

私たちが目の前の人を認識するには、次のようなステップを経ます。

 

1、二分化

脳は、目の前で起きている出来事を理解するために、自分と相手との関係を判断しようとする。この際に脳がとる思考法は、人間に本能的に備わった最も基本的な分類。「この人は自分の敵か味方か?」脳は目の前にいる人が自分の敵でないことが判明するまでは、基本的に相手のことを「敵」だと認識します。

 

2、確証バイアス

同時に、私たちの頭の中に瞬時に浮かぶのが、職業、性別、社会的階層、人種、民族、宗教などの「カテゴリー」であり、私たちは「○○の人は~だろう」という、それぞれのカテゴリーに関する解釈や推測を瞬時に行う。

 

3、対応バイアス

そして、そのカテゴリーに関する自分の中の解釈にしたがって、自分が見ると予想していることを相手に見る。

 

ストレスが高い時にはこうしたバイアスやステレオタイプがさらにが強化される傾向があるそうです。

つまり、特別な人がステレオタイプや偏見を持っているのではなく、この認知プロセスに関する理論によると、私たちは本当に相手のことを見ているというよりも、自分の好きなように相手のことを見ている、という事になります。

 

しかも、一度自分の中で決められた第一印象は自動的に修正されることはなく、その印象が変わるためには、その印象を覆すだけの脳への刺激が必要とされます。(初頭効果)

 

例えば、自分の上司が微笑みかけた瞬間はすぐに忘れてしまっても、上司が大きなため息をついたのを聞いたがばかり、そのことが気になってしょうがなくなる、ということもありえる訳です。

 

心理学者のバーバラ・フレドリックソンは、すでにあるネガティブな印象を変えるなら、少なくともその3倍以上のポジティブな印象をインプットする「変換作業」が必要だと言います。

 

私たちを突き動かしているものは、事実というよりも認知なのです。

 

認知の力を鍛える方法の1つは….グーグルと国連で求められる究極の「訓練」②に続く