昨日は、「水の怪物」と呼ばれ金メダル23個という神業 (?!)を成し遂げたアメリカのフェルペス選手が、北京とロンドンオリンピックで圧勝した後に目標を失い、一時期は自殺も考えた時期から、どうやってその「逆境」を乗り越えることができたのかという彼のストーリーを紹介しました。
記事はこちら⇨フェルペス選手はどうやって逆境を乗り越えることができたのか?
高校野球を見ていても、一回戦で圧倒的な勝利を収めたチームが二回戦では気持ちが緩んだのか、同じチームとは思えない位ぼろ負けをすることがあります。
最初は、純粋に上手くなりたいと思い、練習し、挑戦することを楽しんでいた選手たちが、予選で上手くいったり、新記録を作ったりすると、期待に応えないといけないプレッシャー、または、プライドや誰かを打ち負かしたいなどの気持ちがむくむくと沸き起こってきて、彼らの調子を狂わせる。。。
スポーツではそんな様子をとても分かりやすく目の当たりにします。
では、そんな時に「人の力を弱める考え方」、または「人の力を強める考え方」とはどういうものなのでしょうか?
デンマーク王室から称号を授与されたデービッド・ホーキンス博士は、著書『パワーかフォースか』の中で、キネシオロジー(筋肉反射を利用したテスト)を使って、どんな考え方(意識のレベル)が私たちに力となるのか、をスポーツや芸術、政治などいろいろな分野で実験し、その結果を紹介してくれています。
例えば、実力のある選手に、相手を打ち負かすことや有名になること、たくさんのお金を稼ぐという願望を頭に思い描いてもらうと、その鍛えられた筋肉は、私たちが軽く押すだけでも下がってしまう位弱い反応をする、そうです。
では、「一番になること」はどうでしょうか?
「一番になること」という目標も弱い反応しかくれず、「一番になること」や相手を打ち負かすことは、ある時期には力になるようにな見えるものの、本当の力にはならず、必ず限界を迎えるそうです。
ゴルフチャンピオンのタイガーウッズは、対戦相手がパッドを打つ時にでも、「このボールが入りますように」と心の中で祈っている、と言われています。
彼は、自分自身のために、そういう意識のあり方の方が効果的だということを体験しているのでしょう。
では、逆に、力を与えてくれる考え方とはどういうものでしょうか?
愛する人に捧げること
自分が出来る限りのベストを尽くすこと
最高の努力をできる機会を持てることを喜ぶこと
チームを勝たせること
周りの人たちに希望や勇気を与えるため
等、だそうです。
今朝方、接戦の上で銅メダルを勝ち取った卓球女子チームは、まさに自分よりも「チームを勝たせる」というあり方が力になっていたように見えました。
オリンピックの決勝レベルになると、身体の大きさが圧倒的に有利になる一部の競技を除いて、身体能力の「差」はごく僅かで、身体能力や技術がある段階に達成すると、その先の能力を決めるのは「意識のレベル」だと言われています。
深海ダイバーとして世界一の記録を持ち、映画『グランブルー』で映画化されているフランス人のジャック・マイヨールという人がいますが、彼が潜っている時の意識というのは、瞑想をしている時と同じような意識の状態だそうです。
その瞑想のような意識の状態の中で、生理的な「変性状態」が起き、肉体の通常の限界を越えることが可能になる。。。
マイヨールの友人も彼と同じ深さに挑戦しますが、肉体の限界を超えるのに必要な意識のレベルに達していなかったために死んでしまいます。
マイヨールにとって、潜ることは、
個人的な記録への挑戦から、人類にとっての「未知の世界への挑戦」となり、
その目的は、「人間の潜在能力や偉大さを示すこと」になる。
ホーキンス博士は言います。
究極的に力をくれる考え方とは、
『自分の力は人間の能力を表す人類すべてのものである』というもの。
ちなみに、彼の映画を観ると、観る人は彼が潜水中に体験しているのと同じような変性状態になり、至福の状態で映画館を出てくるのだそうです。
武道の世界では、「動機」と「原理」が究極的に重要である、と言われています。
そういう意味では、私たちがスポーツ選手のプレーに感動し、讃えるのは、こうしたより高い原理に自らを捧げ、弱気になる自分も含め、個人的な欲望やエゴに打ち勝ったことを、彼らの内に直感的に感じ取るからなのかも知れませんね。
ビバ! Human Being!!!😊