いつも自分の能力や努力が「足りない」気がするエリート女性の誰にも言えないお悩み

「私は組織に必要とされている」と思いたい。

「頑張って、上司、部下、同僚のみんなに認められたい。

 みんなにどう思われているか実はすっごく気になる」

 

失敗したくないから、自分を守るための鎧やら盾を身につけて仕事に行く。

しかもどんどん重くなる。。。

 

ありのままでいられたらどんなに楽かと頭ではなんとなく分かるけど、じゃあどうしたらいいの?

 

私は長い間そんな感じのがんばる女子でした。

 

これはそんながんばる女子が少しづつ楽になっていったお話しです。

 

 

東ティモールとカザフスタンでの勤務を経て、私はニューヨーク国連本部に赴任することになりました。国連の中でも花形部署と呼ばれる部署への赴任です。

 

嬉しいのと同時に大きなプレッシャーを感じたのも覚えています。

 

ニューヨークに赴任してまだ数日も経ってない時、新しい上司に呼ばれました。

 

「ノルウェー政府代表部に行ってきてくれないかな。オスロからPKO担当者が来てるみたいだから。

今どうしても空けられないんだ。話し聞いてくるだけでいいから。」

 

ノルウェーは独自の平和外交を行うなど、国連外交にも積極的な国です。

国連と意見交換をするためにニューヨーク来ているということでした。

 

さっそく対外的な「初仕事」です。

 

マンハッタンのミッドタウンの国連本部を出て、目の前にある「トランプタワー」の前を通って、(当時、ニューヨークヤンキースの現役だった松井選手が住んでいました)、オフィスからそんなに遠くない距離に借りていたアパートに戻りました。

 

クローゼットを開けて、

「一番貫禄のありそうなスーツ」を探しました。

 

当時、20代後半半ばだった私のお悩みの一つは「若く見えること」もっと言うと、「童顔」だった事でした。(海外では単純に若いというより、賢く年を重ねた感じの人が尊重されますね。)

 

別のスーツに着替え直して、少しは貫禄らしきものがついたかな?と思い込んで、ノルウェー代表部に向かいました。

nowary

 

3人の大佐の人たちに迎えられ、資料を見せてもらいながら、意見交換をして、ミーティングは無事に終わりました。

 

そもそも意見交換という目的のミーティングではあったものの、

何か話しをしたような中身があったような、なかったような、

なんだか「キレ味の悪い」感じが残ったのを覚えています。

 

今思えば、

「国連本部で働く人はこうあるべきだ」

「『かっこいい事』を言わないといけない」

「『優秀そうなこと』言わないといけない」

という私の中の得体の知れない「かんちがい」と、私の中の理想像とのたたかいと完璧主義の始まりでした。

 

国連の花形部署の中で、

しかも、

その中でも特に優秀な人たちが集まったセクションで働く機会を得て、

今だったらそんな機会をもっと楽しめ、

その有り難さをより味わえると思うのですが、

(優秀なだけでなくハートもある本当に優秀な人たちが集まっていました。)

 

いつも自分の能力や努力が「足りない」気がして、

この「足りない」という強迫観念のような私のお悩みはかなり長い間続きました。

 

一番苦しかったのは、

何かをやっても達成した気がする訳でもなくて、いくらやっても自分の中で「これでいい」と思えなかったこと、でした。

 

ちょっとした失敗に対しても、

自分が完璧でなかったせいだと思い、いっそう完璧主義の深みにはまっていくのです。。。

 

私にとって精神的なストレスが一番大きかったのはおそらくこの頃で、

出張とストレスが重なって、機内で倒れたこともありました。(汗。。。)

 

この完璧主義のピークを経て少しづつ楽になってきたのは、その後南スーダンに行ってからです。

 

まず、灼熱のスーダンでスーツを着なくなったこと(笑)

 

「国連本部で働く人はこうあるべきだ」

「『かっこいい事』を言わないといけない」

「『優秀そうなこと』言わないといけない」

という私の中の得体の知れない思い込みよりも、

 

現地ではこんなことが起きている、

もっとこうした方がいいんじゃないか、

という当たり前ながら一番大切なところに発言の意図そのものが移っていったのです。

 

自分のエネルギーの向きが内ではなく外に向かっていったのです。

 

南スーダンでは別の意味でのチャレンジがたくさんありましたが、

この事によって、どれだけ楽になったか計り知れません。

 

皮肉なことに、そうなってからは、

当時の幹部の人達にうちの部署で働かないかと誘われることもありました。

 

今は、この「完璧主義」というものの正体をもう少し余裕を持って見ることができます。

 

完璧主義とは向上心ではなく守りの姿勢なのですね。

 

完璧であれば、失敗や批判を避けることができて、傷つく可能性も避けることができると思っているから。

 

鎧やら盾やらで、自分の姿を見られないように防いでいるような感じです。

 

 

完璧主義にはまっている時は、「人からどう思われるか」に目が向いています。

 

自分の価値は、どれだけ達成したかで決まる、という思い込みがあるのです。

 

失敗したらどうしよう。。。

間違えたらどうしよう。。。

人の期待に応えらえなかったらどうしよう。。。

 

そんな不安ばかりだと誰だって足がすくんでしまいます。

 

ちょっとした失敗をしても、

「ああ、私のせいだ。自分に足りないところがあるからだ。」と、

自分が成し遂げたことよりも、出来なかったことに目を向けてしまう悪循環を繰り返してしまうのです。

 

これは本当に苦しいです。。。

 

でも、そもそも完璧というものは存在しないし、

絶対に手の届かない目標。

 

 

完璧主義にもおそらくいろいろなレベルがあって、誰でもある程度こういった傾向を持っているのだろうけれども、

 

完璧主義から解放されるには、「人からどう見られるか」から「私はこれでいい」と少しづつでも思えるようになることです。

 

自分の価値を認めることができるのは誰でもない「自分」なのです。

 

 

自分の価値を認めることができるのは自分

 

 

自分の強みも弱みもただ受け入れること、

「もっと集中して今日の課題を終えられたらよかったのに」と思ったとしても、自分にオッケーを出せること。

出来なかったことではなくて、出来たことに目をむけること、

 

「ありのままでいる」ことはそんなところから始まるように思います。

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投稿者: blossomjp

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉も職歴も違う人達が ー アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」として「国連職員」として仕事を始めることになっった。。。 国連に「出稼ぎ」に来ている人もハーバード卒業の「エリート」もみんな一緒。カオスでにぎやかな現場で80カ国の人たちが一緒に平和を築くためには?!

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