内戦をしてきた軍隊の前に立つことになったら?①「パースペクティブテイキング」の威力

目の前には迷彩服の軍人の人たちがずらり。

彼らは内戦をしてきた国の軍人たち。

内戦の前線から戻ってきたばかりの人もいる。

 

私は彼らの講師を務める立場。

私に軍人経験はないし、

重い装備など10分も担げない。

彼らはある事で頭がいっぱい。。。

 

さて、どうするワタシ???

 

自分の視点や価値観を押し付けずに、いったん相手の意見を受け止め、なぜ相手はあのような事を言うのか、と相手の視点で物事を見ること。

 

自分の視点と考えから一旦距離をおいて、相手の視点と立場に立ち、相手の相手の思考のフレームワーク、価値観や感情を理解すること。

 

相手と見ている全体像が違ったとしても、同意するかは別として、相手の立場から同じ状況を見て、そこから互いの共通点を探っていくこと。

 

これは、「パースペクティブ・テイキング(perspective taking)」と呼ばれます。

相手の視点と立場から物事を見て、相手の考え方や感情を理解する力です。

 

シンプルに聞こえながら、このパースペクティブ・テイキングは、私が南スーダンで兵士の人達と接している時や、内戦をしている軍隊の人たちに講師を勤めた時にも、大きな力を発揮してくれたのでした。

 

これは、相手のことを理解するのは大切です、というモラルの話しではありません。

 

この「パースペクティブ・テイキング(perspective taking)」こそ、

多様な意見や人をまとめる立場にある人はもちろん、

これからますます多様なバックグラウンドを持つ人たちと接することになるであろう私達を助けてくれる一つの鍵でもあろうと思うのです。

 

では、相手の視点や考え方を理解すると、どんなことが可能になるのでしょうか?

パースペクティブ・テイキングの力とはどのようなものなのでしょうか?

どんな時にそれが力になるのでしょうか?

 

それを説明するためには、逆に、私たちは普段、目の前の人のことを10%も理解していないらしいという事実に簡単に触れたいと思います。

社会心理学が教えてくれる認知プロセスというものによると、私たちが相手を理解する際にはいくつかのステップを経るそうです。

1、二分化

まず、目の前で起きている出来事を理解するために、脳は自分と相手との関係を判断しようとします。この際に脳がとる思考法は、相手を分類することであり、人間に本能的に備わった最も基本的な分類方法は、「この人は自分の敵か味方か?」という分類です(二分化)。

 

2、確証バイアス

そして、脳がそれを判断するのと同時に、私たちの頭の中に瞬時に浮かぶのが、職業、性別、社会的階層、人種、民族、宗教などの「カテゴリー」です。

私たちは、ポジティブなものもネガティブなものも含め「○○の人は~だろう」という、それぞれのカテゴリーに関する解釈やバイアスを持っています(確証バイアス)。

 

3、対応バイアス

そして、そのカテゴリーに関する自分の中の解釈にしたがって、自分が見ると予想していることを相手に見ます(対応バイアス)。

この理論によると、私たちは相手のことを本当に見ているというよりは、自分が思うように相手のことを見ている、という事になります。私たちは言葉を交わす前から瞬時に沢山の推測をしているからです。

しかも、「初頭効果」というものが働くために、一度自分の中で決められた第一印象は、自動的に修正されることはなく、その印象が変わるためには意識的な努力を要すること、また、ストレスが高い時にはステレオタイプがさらにが強化される傾向がある事が指摘されています。

つまり、特別な人がステレオタイプや偏見を持っているのではなく、誰もがなんらかのステレオタイプを持って相手のことを見ているという訳です。そういう意味では、私たちは目の前の人の事をほとんど見ていないのかも知れません。

改めて聞くとちょっとびっくりです(汗)。。。

 

では、これは日常レベルではいったい何を意味するのでしょうか?

まず、人は自分のことを客観的に見てくれているだろうという観測(期待)を見直すこと、同様に、こちら側も周りの人のことを理解しているだろうという「思い込み」を見直す必要があるということです。

例えば、一生懸命にやっていれば、人は自分のことを分かってくれるだろうという訳ではなく、理解するのにも理解されるのにも自ら積極的に働きかける必要があるのです。

人を理解し、人に理解されるということは意識的な努力を必要とする作業であるという認識を持つことです。

 

私自身、この他者認知のプロセスに興味を持つようになったのは、ボスニアの内戦やルワンダでの虐殺といった「民族紛争」と呼ばれていた現象について、疑問に思ったことがあったからでした。

 

民族が異なるだけで本当に人は争うんだろうか???

もし、民族の「違い」が紛争になる時があるとしたら、

それはどんな時で、それはどうしたら防げるのか?

 

私の大学院での研究や国連の現場での実務にはそんな関心がありました。

 

実際、このような他者(社会)認知のプロセスは、集団や国レベルでも同じ様に働きます。歴史的にも、ナショナリズムやポピュリズムが高まり、紛争や戦争が起こる過程では大抵、こうしたステレオタイプがなんらかかの形で煽られていく様子が見られます。

 

1、同一化

今まで安定をもたらしてきてくれたと思われる「秩序」や 「アイデンティティー」が脅かされているという不安、または、なんらかの形で傷つけられたと感じる時、自分に安全をくれそうだと感じられるより大きな集団にグループアイデンティ ティーや帰属感を求める。

 

2、優越化と序列化

こうした過程では、まず、自分の集団の価値の方が優れていると思いたい優位性保持のメカニズムが働き、自らの価値を中心に、他者は劣るものとして、他集団を序列化する(優越化と序列化)。

 

3、自己正当化

そして、自分の方ではなく、相手側の責任や課題に焦点が当てられ、こちらが「正しく」、相手が「間違っている」と決着をつけようとする。

 

4、「悪」と「善」の二元化

さらに、私たちの平和を破壊する悪(evil)に対し、正義は勝たなければならないとする、「悪」をやつけるための「善」が生み出される。(悪と善の二元化)

 

5、非人間化(de-humanization)プロセス

このプロセスがさらに激化して行くと、相手は気の狂った野蛮な「悪魔」や「動物」となり、「人間でない存在」として、武力行使や報復が正当化される (「非人間化(de-humanization)」)。

 

例えば、独立後の南スーダンで「部族闘争」が再発する過程においても、日本とアメリカが戦争に突入していく過程において、または、スリランカでシンハラ系住民とタミール系住民との内戦が激しくなっていった過程においても、このようなプロセスを見ることができます。

 

では、どうしたらこうしたプロセスを防ぐことができるのでしょうか?

または、一旦起きてしまったこのプロセスを元に戻す過程とはいったいどういうものなのでしょうか?

 

私自身、武装勢力との内戦を展開中のフィリピン軍で、研修の講師を務めることになった時に、正にこのパースペクティブ・テイキングの力を実感したのです。

内戦をしてきた軍隊の前に立つことになったら?②「パースペクティブテイキング」の威力

 

投稿者: blossomjp

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉も職歴も違う人達が ー アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」として「国連職員」として仕事を始めることになっった。。。 国連に「出稼ぎ」に来ている人もハーバード卒業の「エリート」もみんな一緒。カオスでにぎやかな現場で80カ国の人たちが一緒に平和を築くためには?!

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