完璧主義とは高みに向かって努力することではありません。健全な目標や成長への努力とも違います。むしろ守りの姿勢なのです。
なぜなら、完璧なように見えれば、非難や批判、恥による痛みを最小限に抑え、あるいは回避できるという思い込みであるからです。
それは、いわば、20トンの盾を引きずりながら歩いているようなものです。身を守っているつもりでも、実は真の自分の姿を見られないように防いでいるのです。
完璧主義とは、向上心のことでもありません。完璧主義の本質は賞賛の追求です。完璧主義者の傾向が強い人には、子供の頃から学校の成績やスポーツの成績がよく、または行儀がいいだとか、いい子だと褒められて育った子が多いのです。
その過程のどこかで、この身をすり減らす危険な信念体系を身につけ、自分の存在価値とは、何をどれだけ上手く成し遂げたかで決まる、と思っています。
それは、「人を喜ばせよ、有能であれ、完璧であれ。」とあなたを煽ります。健全な努力は、「どうすれば自分が成長できるか」と自分に目を向けることですが、完璧主義は「人からどう思われるか」と、他人に目を向けます。
つまり、完璧主義とは、成功の秘訣どころか成功の妨げになるのです。完璧主義は抑うつ、不安、中毒・依存、人生の無気力、チャンスを逃すこととも関係があります。
失敗や間違いをおかすことの怖れ、人の期待に応えらえないのではないかという不安、または、批判を受けることへの怖れにとりつかれると、健全な競争や真剣な努力が行われている競技場からも足が遠のいてしまいます。
そもそも、どんなに時間とエネルギーを注いでも、他人がどう見るかをコントロールすることなどできません。
完璧主義は恥や批判に敏感にさせるので、ますます恥や自己嫌悪に陥りやすくなるという悪循環を招きます。
ちょっとした批判や失敗に対しも、「私のせいだ。こう感じるのは、私に足りないところがあるからだ。」と、自分が成し遂げたことよりも、自分が完璧でなかったせいだと思い、出来なかったことに目を向け、完璧主義の論理に疑問を抱くことなくいっそう完璧主義を追求し、深みにはまっていきます。
そもそも完璧というものは存在しないし、絶対に手の届かない目標だからです。
完璧主義は、内なるモーチベーションよりも、他人からどう見られるかを問題にしています。
完璧主義にもさまざまなレベルがあり、誰でもある程度こういった傾向を持っています。ただ、完璧主義が強迫観念になっていて、身をすり減らす人もいます。
何千人もの人にインタビューをしたデータによると、喜びや成功を自分の完璧さのおかげだと言う人はまったく見当たりません。
むしろ、人生でもっとも価値ある大切なものを得たのは、勇気を出して弱みをさらし、完璧さを追求するのをやめ、自分を慈しむようになった時だ、と言います。
完璧主義から解放されるには、「人からどう見られるか」から「私はこれでよい」への旅が必要です。
この旅は自己に共感を持つこと、自分のすべてを認めることから始まります。そして、人生の不完全さの中に美を見つけること(不完全さの中の完全さ)を学ぶ必要があります。
ブレネー・ブラウン「本当の勇気は弱さを認めること」2013年、より
ブレネーブラウンのTEDでのスピーチは全TEDのスピーチ中で視聴回数ベスト4にランクインされています(日本語字幕あり)。
2016年2月19日現在、2300万(23,659,379)回視聴されています。ぜひご覧ください。