溶け込む or 所属するーありのままはどっち?
「所属する」とは、自分が自分であるから受け入れられること。
「溶け込む」とは、他の人と同じようだから受け入れられること。
所属しているときは、自分のままでいられる。
溶け込むためには、他の人と同じにならなくてはいけない。
「ありのままの姿見せるのよ〜」が流行ったのは2014年。
流行りの歌や映画はその社会の集合無意識を示している、とも言われています。
誰でも「ありのまま」でいたいと願うように、「ありのまま」に理解されたいという欲求ももっています。
では、私たちは目の前の相手のことをありのままに見ているか?というと。。。
私たちは、自分が見ると予想していることしか見えない、のです。
なぜなら、私たちが目の前のことをどう理解するのかという認知プロセスが自動的に働くからです。
社会心理学によると、私たちが目の前の相手を理解しようとする時は3段階のプロセスを経るそうです。
第一段階:
私たちは、自分の目の前で起きている出来事を理解するために、脳はまず自分と相手との関係を判断しようとする。脳が相手と自分との関係を判断するために脳がとる方法は、相手を分類すること。
人間に本能的に備わった最も基本的な分類方法は、「この目の前の人は自分の敵か味方か?」という分類(カテゴリー化)。
第二段階:
次に脳は「カテゴリー」を使ってさらに詳しく判断しようとする。会社員、〜屋さん、〜の先生、社長、会計士といった職業から、〜に住んでる人、アメリカ人、フランス人、インド人(国籍)、性別や宗教などカテゴリーはたくさんあります。
第三段階:
「初頭効果」というものが働くため、第一印象が修正されるためには意識して努力をする必要があります。
つまり、私たちは言葉を発する前からたくさんの推測を瞬時にしていて、たとえ初対面でも、自分の目の前にいる人に対して、まったくゼロベースで見ていることはほとんどない、のです。
特別な人がステレオタイプや偏見を持っているのではなく、誰もがなにかしらのステレオタイプをもって相手を見ているのです。。ストレスが高い時にはさらにステレオタイプが強くなります。
ひょえ~
改めて聞くと私たちはどれだけ相手の本当の姿を見ているものかと思ってしまいます(汗)。
ではどうしたらいいのでしょうか?
人は自分が見ると予想していることしか見えないのだとしたら、それを逆手にとりましょう!
つまり〜〜〜♪♪♪
これから会う相手に対して、見ることを先に決めること、です。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
相手の「真の美しさ」を見ると決めること、です。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
① 自分の中のバイアスや判断に気づき
② 自分の中のバイアスや判断をいったん脇に置き
③ 相手の「真の美しさ」を見ると決めること
です。
そして面白いことに、そうした姿勢は相手に伝わります。
人は基本的に自分を理解してくれようとする人に好意をもちます。
すると、お互いの心の扉が開くのですね。
「えっ?!この人ってこんな人だったっけ???」
そんな驚きこそ、言葉にできない喜びです。
「人は自分が見ると予想していることしか見えない」なら相手の真の美しさを見ると決めましょう。
(まとめ)
・人は何かしらの思い込みで相手を見ている
・自分が見ると予想していることを相手に見る
・相手を理解するという作業のためには、見ることを先に決めること
① 自分の中のバイアスや判断に気づくこと、
② いったん脇に置くことができること、
③ 相手の「ありのままの姿」を見ると決めること
2015年度で国連で働いている職員の出身国は、合計で175カ国だそうです。
加盟国数は全部で193カ国ですが、UAE、カタール、アンゴラ、ツバル、ナウル、バヌアツなど、一人も職員がいない国が若干数あって175という数字になっています。
国連は、いわば、世界の中で最も「多様性」の実践に対して、お金も時間も労力もかけることがゆるされ、正当化されている組織と言ってもいいと思います。
では、これだけたくさんの国の人達と一緒に働くことは大変なことなのでしょうか?
私の体験としては、単純に簡単だとは決して言えるわけではないという意味では「イエス」であり、「人間二人以上が集まれば、意見の不一致や相違はありえるもの」という前提で考えると同時に「ノー」です。
私自身、一番初めの国連の赴任地の東ティモールで、
「女が仕事をするのは無理だ」と全員の前で言い放ち、お手伝いさんに命令をするかのような口調で女性に命令をする、一周り以上年上のパキスタン人の男性のグループリーダーと一緒に働くことになった事がありました。
女性は医師や教師以外は補助的な業務にしかつかず、一般的に男性が先に食事をし、女性は台所で食事をするというパキスタンでは、その人は今までの人生の中で女性とはほとんど働いたことがなかったのかも知れません。
頭ではそう分かるものの、人間は感情の生き物。
「国連って人種とか女性の平等をうたってる機関じゃないわけ?!」と最初は大いに憤り、
同時に、「こういう場合はいったい相手に何と言って、どうやって対処して、どうやってこの問題を正式に提示したらいいんだろう」と、大いに悩み、だからと言って口を聞かないわけにもいかず、たくさんの失敗を重ねたものでした。
今思えば、175カ国もの人たちが一緒に集まって働くことを成り立たせるにはどうしたらいいのか、というリアルな現場への「イニシエーション」であり、
◎ 相手の考え方や文化背景を知ること、
◎ 自己主張をしないといけない時を知ること、
◎「アサーティブ」であること (必要であれば「ノー」と言うことを含め、自分の意見をはっきり持ちつつも、一方的に主張するだけではなく、相手に伝わるように話すこと)、
◎ 事実(facts)と人(person)を分けること、
◎ ハラスメントなどがある時は事実関係を記録することなども含め周りの人に協力してもらうこと
など、いろいろな国籍もの人たち、バックグラウンドも文化背景も違う人達が一緒に集まって働くことを成り立たせるにはどうしたらいいのか、という点で大事なことを本格的に意識し、学び始めることになったのはこの「事件」がきっかけでした。
⬆️ 国連スタッフデー。自分の国のドレスや民族衣装を着て来る人もいる。スコットランド人の軍人の同僚が着ているのは「キルト」と呼ばれるスコットランドの民族衣装。@ニューヨーク本部にて
私のケースは少し極端な例ですが、国連のワークカルチャーは基本的には「アングロサクソン文化」寄りでありながら、同時に、例えば、自分の上司や同僚がアフリカや太平洋の島の出身の人であることなどもあり得ることを考えると、相手の考え方や文化背景を知るなどの努力が数倍以上に求められるという面は確かにあります。
そうした環境も関係してか、
国連では職場での人間関係、上司と部下の関係、自分の仕事に対する評価などについての意見の相違、または、ハラスメントに対する異議申し立てがそれなりの数であること、
それが時には、国籍や人種にからめられて捉えられることが多い事、
そうした背景から、国連の人事部が年間を通じて「効果的なフィードバックの仕方」や「仲裁」に関する研修を実施している事を知ったのでした。
「フィードバックの仕方を学ぶのに丸二日も研修に費やすものなんだ」(!)と少しびっくりすると同時に、
私自身もそうした研修に参加する機会を得て、部屋の中に、ありとあらゆる肌の色の人達がいるのを見た時に、
「ああ、悩んでいるのは私だけじゃないんだ」
そして、
「意見の違いや対立に対処する方法を最初から分かっている人はいなくて、誰もが学んでいくものなんだ」、とある意味「ホッ」としたのを覚えています。
実際、そうした研修は、「急がば回れ」じゃないけれども、長期的な視点で言うと、時間も労力もかける価値が十分あったと思いますし、組織としても投資し続ける価値があるものだと思います。
「職場における意見の相違や対立は自体は、人間の自然の営みの一部であって、組織が学び、進化をする呼びかけである」としつつ、「私たちは職場での対立に建設的に対処する能力を身につけなければならない」と、国連には2002年にオンブズマンオフィスというものが設けられました。
国連のオンブズマンオフィスは、非公式に職員間の仲裁(mediation)を行うことも含め、職員が職場での対立に対処する能力をあげることを目的にしています。
最近ではさらに進んで、「職場での懸念や対立を効果的に提示する方法についてのガイダンスやコーチングを秘密厳守で提供します」、とまで、書かれているのを見ると、こうしたサービスがより身近に気軽に申し込めるようになったという印象があります。
アメリカ政府で働く友人に、「連邦政府マネージャーハンドブック」という物を見せてもらったことがありますが、こちらにも、何十ページにも渡ってオフィスでの意見の相違や対立の扱い方に関するコーチングのコツが書かれていたのが印象的でした。(アメリカ政府の職員もいろいろな国の出身の移民の集まりです。)
職場での意見の相違や対立は出来れば避けたいのが本音だけれども、意見の相違や不一致自体は人間の営みの自然な一部なのだとしたら、
個人的な体験としては、
まったくそうした会話が持てないような雰囲気の環境よりは、
意見の相違や対立はありえるものとする雰囲気は、
ある意味大きな安心感をくれたように思います。
ハーバード・ビジネススクールのデイビッド・ガービン教授は、
組織が創造的に機能するためには、
「コミュニケーションの回数が多いことよりもむしろ批判的なコミュニケーションをオープンに行えるかどうかが重要である」と指摘し、以下の3点を創造的な職場環境を支える要因として挙げています。
1. 精神的な安全 (思ったことを自由に発言できる、自分の意見に対して批判されたり、報復されない等)
2. 違いの尊重 (意見や考えの食い違いが起きても建設的な対話ができる等)
3. アイディアの許容度 (新しいアイディアや変わった?発想も尊重される)
異なる意見や対立を扱う能力と創造性には相関関係があるという訳です。
意見の不一致や相違が、調整や新しい選択やアイデアのための機会でもあるとしたら、
これからますます不確実性の高まる解のない時代、
意見の不一致や対立を避けるのでもなく、
単に「解消する」ものでもなく、
新しい発想を生み出す機会として活かすことのできる知恵を身につけたいものです。
この変化の早い不確実性の高いこれからの時代においてはもはや決まった正解はなく、正解のないような問いに対してどうやって考えるか・アプローチするかがますます問われるようになること、
そういう時代においては、一つの正解を求めるのではなく、
新しい解を導き出すための「考え方」(思考プロセス)を学ぶことがますます大切になるだろうとお伝えしました。
ではその考えるステップとはどういうものなのでしょうか?
例えば、オックスフォード大学のチュートリアルでは実際に何をどのように学ぶのでしょうか?
チュートリアルは、週に1回1時間程度、教授と学生が1対1もしくは1対2になって行われ、学生が、毎週与えられたテーマについて事前に調べ、そのテーマに対する回答を小論文として書いて臨みます。
チュートリアルでは、
そのテーマについてはすでにどういう事が言われていて(先行理論のレビュー)、
その点で大切だとされていることは何かをまとめ(論点の整理)、
課題の質問に答えることになります(議論の結論)。
1、これまでの論点をを理解し・整理し、結論を出す
毎週新しいテーマが与えられ、毎回新しい文献を読み、新しいテーマを理解し、整理し、言語化します。そのテーマに関する、それまでの何十年もの(何百年、何世紀もの)洞察の積み上げを、自分の言葉で表現していく作業です。小論文を通じ、これまでの研究では何がすでに明らかになっていて、何が重要なのか、まだどんな課題があるのか、について全体を構成し、結論を出します。
この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。
2、その結論にいたったプロセスを確認する
完成した小論文を教授に渡し、チュートリアルが始まります。教授に質問されたことは主に三点でした。
「それはどういう意味なのか?」
「そこをもう少し説明してくれる?」
「どうしてそういう結論になったのか?」
(私、もしくは、もう一人の学生に対して)
「どうして」「なぜ?」と質問されることによって、
または説明を求められることによって、
不明確なところは明確にし、
意見の根元にある前提を確認し、
その結論にいたったプロセスを確認しています。
3、洞察を深める
その上で、一つの意見を掘り下げ、洞察を深めていきます。
このテーマに関して言えば、今の時点ではこうだけど、この点に関してはまだ足りない、という認識の上で、「あなたはどう思う?」「こういう意見もあるけど、それ対してはどう思う?」と、自分の意見が求められ、時には、自分とは異なる意見に対する意見が求められます。
4、何が分かっていて何が分かっていないのか?
そのような質問をされると、自分の中で理解できている時には答えることができても、理解が足りない時には上手く言語化できなかったり、説得力のある答えができなかったものでした。こうした質問のやりとりによって、どこを分かっていてどこを分かっていないのかが明らかになっていきます。
5、理解を「積み上げる」
オックスフォードでのチュートリアルでは、ある問いに対する答えや解が一つでないこと自体は問題にされません。
むしろ、
解は一つとは限らないこと、
誰も一人では理解を深めることは出来ないという前提の上で、
お互いに意見を交わし、自分とは違う意見についても聞くことによって、自分はなぜその結論にいたったのか、という自分の思考プロセスを確認する、という作業が求められました。
⬆️ デービッド・パーキン学部長とクリスマスパーティーにてー授業がパブで行われたことも
理解や解はある日突然やってくる訳ではありません。「閃き」も、何千回、何万回もの地道な作業の延長にやってくると言われるように、この時の体験から「理解」とは「積み上げる」ものなんだと学んだように思います。
「考える」という作業にも「型」があり、
新しい解やオリジナルな解も「型」を経て到達すること、
一つ一つ成功体験を積み重ねていくこと、
そして、
多様な意見があってよいこと、
誰も一人では理解を深めることができないという前提は、
変化が激しく、不確実生の高い時代に生きる私たちに大きなヒントを示してくれているように思います。
(まとめ)
⭐️解はまったくゼロの状態から導き出すのではない。
⭐️ 新しい解やオリジナルな解にも「型」を経て到達する。
⭐️理解を積み上げる先に解がある。
⭐️解は一つとは限らない。
⭐️ 誰も一人では理解を深めることは出来ない。
最近ビジネススクールで使われている言葉にVUCAワールドというものがあるそうです。
VUCAワールドとは、
volatility
uncertainty
complexity
ambiguity
の頭文字をつないだもので、
文字通り、
変動が激しく、
不確実性が高く、
複雑で、
曖昧な
世界のことを指しています。
改めて指摘する必要もない位、為替の変動から国際情勢まで、今私たちは変化の激しい時代に生きています。そして、ひとつひとつの出来事が、今まで体験したことのないような早さで複雑に影響し合い、思ってもみなかった方法で他の出来事に繋がるようなことも起きています。
別の言い方をすると、
私たちは、もはや前例のない「解がない時代」を生きています。
最近、世界で政情不安やナショナリズムが激しくなってる背景には、未知の不安に向き合い、答えがすぐにでないような複雑さや不確実性に堪えるよりは、「不正確でもいいからより単純な答え」を求め、
自分に安全をくれると感じられるより大きな集団に帰属感を求めるようになっているからだ、という指摘もあります。
私が、南スーダンのような国で仕事をしていた時、それは正に不確実性が極めて高い環境で、解のない課題に向き合う作業そのものだったのですが、私にとっては必ずしも大変だったという記憶だけではなく、ある意味前例もないからこそ、何をやってもいいという切り拓いていく面白しろさがありました。
ただ、最初からそう思えたかというとそういう訳でもなく、
不確実性に耐えるメンタリティーと、解がない中で解を導き出すための「考えるステップ」を積み重ねていったように思います。
私がそうしたスキルを初めてきちんと習ったのはオックスフォード大学の大学院でした。
私がオックスフォードに入学してびっくりしたのは、教授と学生が1対1もしくは1対2で議論をしながら学んでいくチュートリアルと呼ばれる個人指導のシステムでした。
アメリカの大学が授業(議論)への参加と毎週出される課題を中心に進んで行くのに対し、オックスフォードではこのチュートリアルこそが日々の勉強のメインであって、講義の数自体もそんなに多くなく、講義はチュートリアルを補完するものと考えられていました。
学期が始まる前から、卒業生からオックスフォードとケンブリッジの特徴こそチュートリアルなんだよ、とは聞いてはいたものの、さて、それだけで修士課程の勉強が成り立つんだろうか?と正直ピンと来ないまま学期を迎えたものでした。
🔼 オックスフォード大学入学式
では実際にチュートリアルでは何をするのでしょう?
チュートリアルは、週に1回1時間程度、教授と学生が1対1もしくは1対2になって行われ、学生は毎週与えられたテーマについて事前に調べ、質問に対する回答を小論文として書いて臨みます。
1週間で20冊~50冊位の文献のリストが渡され、
そのテーマについてはどういう事がすでに言われていて(先行研究のレビュー)、
何がその点で大切だとされていることは何かまとめ(論点の整理)、
課題の質問に答えることになります(議論の結論)。
⬆️ ハウスメートと一緒に。このガウンは日常的にもディナーで着る。
言うは易し。
学期が始まるやいなや、キャンパスでは一斉に「メンタル・アスリート」のような生活が始まります。
週一回のチュートリアルの日、徹夜明けの目をこすりながら、自分の書いた小論文を手に教授の部屋をノックします。
ソファーのような椅子に座り、少し挨拶を交わしてから、自分の書いた小論文を声に出して読んでと促されます。
私の担当の教授は、あまり多くを語らない方でしたが、読み終わると、たいていこのようなことを聞かれたものでした。
「それはどういう意味?」
「そこをもう少し説明してくれる?」
「なんでそういう結論になったの?」
そして、時にはもう一人のチュートリアルのペアの南アフリカ人のクラスメートに「あなたはどう思う?」と議論がふられていきます。
チュートリアルが終わると、
その週の課題を終えて、一旦ホッとするものの、
その課題の結論を教授が言うわけでもなく、
模範回答や講義の資料やパワーポイントが渡される訳でもなく、
何かを理解したような確かな手ごたえをつかんだ訳でもなく、
自分が勉強していることは果たしてどこかに向かっているんだろうかと、
大きな雲をつかむような作業が果てしなく続くように感じられたものでした。
ただ、いま振り返ってみれば、
このチュートリアルこそ、
何を学ぶかではなく、いかに学ぶかを教えてくれた最強の機会だったと分かります。
チュートリアルは、
正解を求めるというよりは、
先人の歩みを追いながら(それまでの洞察や理論の積み上げを自分の中で言語化し)、
自由に考え、
新しい解を導き出すための考える方法(思考プロセス)を教えてくれていたのでした。
🔼 寮の部屋からの景色ー課題が終わらず泣きそうになった時に窓から見えたリスに癒された
このチュートリアルの体験は、
「どんなテーマでも自由に追及して良い」という雰囲気の中で、
「多様な視点があってよいこと」、
「解は必ずしも一つではないこと」、
「自分でテーマをみつけ、向き合い、探求する楽しさ」、
「解のない課題に対して向き合うメンタリティー」の土台を私に身につけさせてくれたように思います。
これからの解のない時代、新しい解を求めるための考え方(思考プロセス)はますます重要になってくることだと思います。
では、オックスフォードの教授はなぜあのような質問をするのでしょうか?
その質問の意図とは何なのでしょうか?
解のない時代に解を見つけるオックスフォード流「考えるステップ」②
(まとめ)
変化の早い不確実性の高いこれからの時代においては決まった正解があるとは限らない。
正解のないような問いに対してどうやって考えるか・アプローチするかが問われる。
解を求めるのではなく解を導き出す思考プロセス(考える過程)を学ぶ。
解のない時代に解を見つけるオックスフォード流「考えるステップ」②
◎ビックリ満載のオックスフォード生活についてはこちら
→ マイストーリー④-日本生まれ日本育ちの私がオックスフォードへ
◎オックスフォードに応募することになった経緯についてはこちら
→マイストーリー③就職活動で落ち込みミャンマーへ行くー私ってすっごいバカかも?!
完璧主義は、内なるモーチベーションよりも、他人からどう見られるかを常に気にしています。
誰でもある程度こういった傾向を持っていますが、完璧主義が強迫観念になっていて、身をすり減らす人もいます。
おそらく、拒絶の恐れがあるので、何をしたから愛されるのではなく、愛をたくさん受けて、愛されるために愛を勝ち取る必要はないということを体と心にしみこませる必要があるでしょう。
ブレネー・ブラウン「本当の勇気は弱さを認めること」2013年はこう言っています。
どのレベルにしろ完璧主義から解放されるには、「人からどう見られるか」から、勇気を出して弱みを受け入れ、完璧さを追求するのをやめること、自分を認めることから始まります。
例えば、
・心の痛みを無視したり、自分を批判するのではなく、自分自身の温かい理解者になること
・自分に対して共感を持つこと
・人間は誰でも悩み、自分の無力さを感じることを知ること
・否定的な感情を抑えすぎず誇張もせず受け入れること。
・痛みを無視したら痛みに共感することはできない。弱みや不完全さを認めず、あるべき姿にそぐわない部分を切り捨て、認められるためにヘトヘトになるのでもなく、否定的な感情や思考と「一体化しない」こと、です。
ブレネー・ブラウン「本当の勇気は弱さを認めること」2013年、より
完璧主義とは高みに向かって努力することではありません。健全な目標や成長への努力とも違います。むしろ守りの姿勢なのです。
なぜなら、完璧なように見えれば、非難や批判、恥による痛みを最小限に抑え、あるいは回避できるという思い込みであるからです。
それは、いわば、20トンの盾を引きずりながら歩いているようなものです。身を守っているつもりでも、実は真の自分の姿を見られないように防いでいるのです。
完璧主義とは、向上心のことでもありません。完璧主義の本質は賞賛の追求です。完璧主義者の傾向が強い人には、子供の頃から学校の成績やスポーツの成績がよく、または行儀がいいだとか、いい子だと褒められて育った子が多いのです。
その過程のどこかで、この身をすり減らす危険な信念体系を身につけ、自分の存在価値とは、何をどれだけ上手く成し遂げたかで決まる、と思っています。
それは、「人を喜ばせよ、有能であれ、完璧であれ。」とあなたを煽ります。健全な努力は、「どうすれば自分が成長できるか」と自分に目を向けることですが、完璧主義は「人からどう思われるか」と、他人に目を向けます。
つまり、完璧主義とは、成功の秘訣どころか成功の妨げになるのです。完璧主義は抑うつ、不安、中毒・依存、人生の無気力、チャンスを逃すこととも関係があります。
失敗や間違いをおかすことの怖れ、人の期待に応えらえないのではないかという不安、または、批判を受けることへの怖れにとりつかれると、健全な競争や真剣な努力が行われている競技場からも足が遠のいてしまいます。
そもそも、どんなに時間とエネルギーを注いでも、他人がどう見るかをコントロールすることなどできません。
完璧主義は恥や批判に敏感にさせるので、ますます恥や自己嫌悪に陥りやすくなるという悪循環を招きます。
ちょっとした批判や失敗に対しも、「私のせいだ。こう感じるのは、私に足りないところがあるからだ。」と、自分が成し遂げたことよりも、自分が完璧でなかったせいだと思い、出来なかったことに目を向け、完璧主義の論理に疑問を抱くことなくいっそう完璧主義を追求し、深みにはまっていきます。
そもそも完璧というものは存在しないし、絶対に手の届かない目標だからです。
完璧主義は、内なるモーチベーションよりも、他人からどう見られるかを問題にしています。
完璧主義にもさまざまなレベルがあり、誰でもある程度こういった傾向を持っています。ただ、完璧主義が強迫観念になっていて、身をすり減らす人もいます。
何千人もの人にインタビューをしたデータによると、喜びや成功を自分の完璧さのおかげだと言う人はまったく見当たりません。
むしろ、人生でもっとも価値ある大切なものを得たのは、勇気を出して弱みをさらし、完璧さを追求するのをやめ、自分を慈しむようになった時だ、と言います。
完璧主義から解放されるには、「人からどう見られるか」から「私はこれでよい」への旅が必要です。
この旅は自己に共感を持つこと、自分のすべてを認めることから始まります。そして、人生の不完全さの中に美を見つけること(不完全さの中の完全さ)を学ぶ必要があります。
ブレネー・ブラウン「本当の勇気は弱さを認めること」2013年、より
ブレネーブラウンのTEDでのスピーチは全TEDのスピーチ中で視聴回数ベスト4にランクインされています(日本語字幕あり)。
2016年2月19日現在、2300万(23,659,379)回視聴されています。ぜひご覧ください。
同じ一人の女性としてそこにいて欲しいの
ある日、私はバングラデシュ人の友人に連れられ、12人ほどのバングラデシュの女性達と一緒に座っていました。これから彼女達と一緒にあるテーマについてグループでシェアをする会に参加するためでした。
さて、そこで話されることになっていたテーマとは?
ーそれはセックスについてでした。
「あの・・・私セックスの専門家でもないし、
あの・・・その・・・そんな自信を持って人にシェアできるような体験があるようにも思えないんですけど。。。(モジモジ)」
すっかり小さくなりかかっていた私の肩を押すように友人は言った。
「Chikaいいの。私はあなたに同じ一人の女性としてその場にいて欲しいの。」
人間として当たり前の営みでありながら、途上国で、特にイスラム圏で母から娘に正しい知識が伝えられ、語られる機会はほとんどない。それが故に、正しい知識がないばかりに、簡単に防げるはずの感染症になったり、セックスがトラウマのような体験になっている女性が多いということを友人から聞いていた。
だからこそ、安全な知識を身につけるために女性同士でシェアできる会を持ちたいというのが友人の意図だった。
バングラデシュという男尊女卑が非常に強い社会において、それがどれだけ勇気のあることかを少しは理解していた私は、彼女の勇気を応援したいという気持ちで参加することになったのでした。
友人と目の前の女性たちはしばらくお互いの近況報告を交わしてから、さっそく本題に入っていきました。
「最近、悩んでいることなどシェアしたい人はいますか?(友人)
一人の女性が手をあげました。
「感染症になっているので性行為がとても苦痛です。」(女性)
「どれくらい感染症は続いているのですか?」(友人)
「もう何年もです。まだ小さい子供がいるのでミルク代をまかなうために生理用品は買えません。」(女性)
隣にいた友人は、一人一人のシェアを丁寧に聞き、受け止めながら、かつ、冷静に、身近なものを使い出来るだけ衛生的に保つ方法を彼女に丁寧に伝えていた。
そして、そのことについて旦那さんとできるだけコミュニケーションを持ちましょうと伝えていた。
こんなやりとりが何人も続いた。
ここで紹介できるのはほんの一部だけれども、私はただただその話しを聞きながら思った。
この目の前の彼女たちが男尊女卑の社会の中で生きることは毎日どれだけ勇気を要することなんだろう!!!
そして、そのバングラデシュの友人と一緒にダッカの博物館に行った時のことを思い出しました。
博物館を出る時に彼女に「トイレ行かないの?」と聞いた時のことです。ここで行っておかないと、今度はいつ行けるか分からないから位の軽い意味でした。
「わたしは大丈夫。 バングラデシュの女性は8時間くらいトイレに行かなくても大丈夫なように訓練されているのよ」
???
その意味がよく分からずにポカンとしている私に向かって彼女は優しく教えてくれたのです。
「ほら、バングラデシュではね、トイレがあまり整備されていないでしょ。 だからね、例えばバスに乗って地方に行く時などは、水もなるべく飲まないようにするの。」
!!!
知らなかった!
しかも、これは、その数週間前に、出張で3週間もバングラデシュに滞在した後の出来事だったのです。トレーニング中だったから、私の関心は紛争解決や平和維持に向けられていたとはいえ、しかも、バングラデシュ軍のPKO訓練センターでは女性トイレの数は限られていたけれども、(その場で女性は私を含めたったの二人だったのだけれども)女性トイレは存在していたからです!
ああ!すごいショック。。。。。
まがりなりにも国連で働き、この分野に少しは知っていると思っていたけど、
「知っていると思っている」事と「知っている」事とはこんなにも違う。。。
同じ景色を見ていたとしても、同じ国にいても、同じ人から同じ話しを聞きているようでも、簡単に見えることがあり、意識を払って見ようとしないと見えない事が本当に沢山ある。。。
私は紛争をしていた国や旧独裁政権の国などいろいろな国で働いてきたけれども、自分で言うのもなんだけれどもかなり繊細な心の持ち主。けっして強いタイプじゃない。
正直、見たくないことも聞きたくないことも山ほどあった。
でも、毎回とはけっして言えないけれども、なぜかその中になんというか、私の心の奥深い部分が満たされるような、極限の中で生まれる人間の知恵、勇気や強さに触れるような瞬間があった。
このバングラデシュの友人もその一人だった。私はそんな体験をさせてもらった事に対して彼女に感謝をした。
そして、南スーダンの女性のことを思い出したのです。
世界でもっとも争いの根が深いとされ、ほぼ40年間紛争が続けられていた南スーダン。
紛争が起きている状況で、最も厳しい状況におかれるのは女性と子供だと言われます。
南スーダンの女性たちにとって、銃よりも彼女たちと子供たちの命を奪ったものがありました。
産婦死亡率です。南スーダンでは、病院やなんらかのサポートを経て出産できる女性は1割にも満たず、9割をも超える女性たちはともかくどんな状況であってもなんとか自力で子供を産まざるをえない状況であり、そもそも栄養状態がよくない為、産婦死亡率は世界の一で、7人に1人は出産時に命を落とすと言われていました。紛争が続く中で、南スーダンの女性にとって文字通り命がけだったのは、出産だったのです。
そんな苦労の中で文字通り命がけで出産し、育てあげた子供たち。
南スーダンには320万丁もの銃が流通していると言われています。人口4人に1人が銃を持っている計算になります。
時に自分の息子が争いに巻き込まれ、または、家族や自分の身を守るために、または洗脳され、簡単に銃を手にしていきます。
彼らのほとんどは普通の男の子たちです。彼らが特に残酷だからではありません。日本だったら口論で終わることでさえ、銃がある環境であるがばかりに時に村同士の抗争になり、時に「部族間紛争」になり、時に「民族間紛争」になっていくのです。
南スーダンの女性たちが日々直面している困難はあまりにも大きいと言わざるをえません。
こんな状況はもう我慢できない!!!
南スーダンの女性は立ち上がり、こう言ったのです。
私たちは息子を人殺しマシーンにするために産んだんじゃない!!!
こんな争いばかり続けるならもう子供は産まない!
南スーダンの女性は、セックスをボイコットすることを宣言しました。
そしてこうも言ったのです。
「全てのにんげんは女性から生まれる。
私たちはもうこの子たちに互いを殺しあうようなことはさせたくない。
私たちにはこの子たちに争いをさせないように育てる責任がある。」
イスラエルペレス大統領がオバマ大統領から、「何が中東の民主主義と和平を妨げているのですか?」と質問され『争い合う男どもです』と答えたそうです。
また、アラブの女性たちとユダヤの女性たちが対話をすれば和平が実現するだろうとも言われています。
南スーダンでは紛争中でも女性はおしゃれを諦めませんでした。紛争が終わってから首都に真っ先にオープンした店の一つは美容院とネイルサロンでした。女性たちは直観的にどちらの方が楽しいかを知っているのだと感じます。
「女性のリーダーが増えれば戦争や不祥事は減るだろう」
世界13ヵ国で行われた調査で、65%の人が「女性のリーダーが増えれば戦争や不祥事は減るだろう」と回答しています。フランス、ドイツ、ブラジル、インド、韓国、中国、日本などで行われたこの調査では、経済危機後の世界がリーダーに求める資質としてあげられたのは、信頼や謙虚、寛容、共感、柔軟性など、どちらかと言うと女性的だと言われてきた特徴が圧倒的に上位に上げられたのです。そこで浮かび上がっているのは、感傷的ではなく賢明で静かな強さがある、プライドや権力よりも全体の理念に集中できるといったリーダー像です。
同じ調査ですが、「男性がもっと女性のような発想をしたら、世界は好ましい方向に変わるだろう」という アンケートに対して、66パーセントの男性がイエスと回答し、日本では79%、 フランスとブラジルでは76%、ドイツでは70%の男性がイエスと答えています。
ユナイテッド航空など世界的企業のブランディングに関わってきたジョン・ガーズマという消費者行動の専門家の人が経済危機後の消費者行動の変化から導き出した「女神的リーダーシップ」(原文 The Athena Doctrine)は、ニョーヨークタイムズのベストセラーになっていたのでした。
経済危機後の世界がリーダーに求める特徴はつながり、共感、寛容 ①
そう!私が現場での体験を通じて直感的に感じてきたことを裏付けるものでした!
今こそ、世界が求めるリーダー像は、プライドや権力よりも全体の理念に集中でき る賢明で芯の強さを持つリーダー。
だとしたら、賢明で静かな強さをたたえている日本の女性の力こそ今こそ世界に求められているものではないか?
紛争のような大きな問題を目にすればするほど、私たちは何か大きなことをしないといけないと思いがちです。
ただ、バングラデシュの友人が私に教えてくれたのは「同じ女性としてそこに一緒にいて欲しい」ということ。
特別なことや大きなことをやる必要もない。
私たちがその国の人の友達になること、時に一緒にいることーそれ自体、私たちが思ってる以上にすごい価値なんじゃないか?
バングラデシュの友人は私に大切なことを教えてくれたように思いました。
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民族や宗教の違いを超えて人を繋げるリーダーを育てること、
特に、仲裁や対話の力のよる争いの解決の方法について伝えること、
日本の女性の力を世界のために役に立てること、
日本と世界がお互いに学び合い、お互いの力を世界の課題の解決のために役にてること、
若い人たちの才能を育み、伸ばし、表現していくことをお手伝いすること(キャリアコーチング)
こうした活動を行っています。
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