転機は突然やってくるというのは本当らしい。
大学院を卒業して、国連で働きたいと思っていて応募はしていたものの、いつ面接に呼ばれるかも分からない中で、私は大学の先生がくれた翻訳の仕事をしながら、仕事を探していました。
東ティモールでの選挙支援のポストに応募してからすでに数ヶ月たち応募したのも忘れた頃、一通のeメールを受け取りました。
「厳正なる書類審査の結果、貴殿は書類審査に合格しましたので、つきましては面接を実施したく都合のよい日程をお知らせください。なお、派遣が決まった際には、数週間以内に派遣されることが求められます。」
マジーーーー!
マジ!!!私はすっごく興奮した。
さっそく東ティモールの情勢について調べることにした。
東ティモールとは、インドネシアの最南西に位置する島で、パプアニューギニアに近いところで、文化や民族的にも太平洋の影響が強いということ、
その東ティモールでは、前年に独立を問う住民投票が行なわれ、その時の争乱で国全体が壊滅的な打撃を受け、その復興と選挙の実施を含め東ティモールという国が独立するための支援を国連がしていること、
それが大まかな状況だった。
ふむふむ、東ティモールの情勢について少しは分かったものの、
国連の面接なんて、いったい何を聞かれるのか全く検討がつかない。
分かっているのは職務内容が選挙支援であること、派遣国は東ティモールであることだけ。
しかも初めての英語での面接。しかも電話でやるというから相手の表情が見えにくい。。。
不安も要素もたくさんあったけれども、
ともかく行きたいのだからその気持ちをぶつけるしかない!
そんな心境だった。
面接当日。面接まであと1時間、あと30分、あと5分、、、後にも先にもこんなに緊張して手に汗をかきながら面接を待ったのは初めてだったかも知れない。
Good Afternoon Ms. Onaka. My name is ◯◯. Very pleased to talk to you today. I am calling you today to conduct an interview for a post of Civil Registration Officer with UNTAET (United Nations Transitional Administration in East Timor). Please feel relaxed.
Let us begin.
さっそく面接がはじまった。
「なぜこの仕事に応募しようと思ったのですか?
この仕事を遂行するにあたり、あなたが大切だと思うことは何ですか?
今まであなたが関わったことで大変だったことは何ですか?どうやってそれを乗り越えましたか?」
そこまでは想定内だった。
この次の質問までは。
「あなたは電気のないところで暮らせますか?」
「えーと。。。」
「小さい頃にはよくキャンプに行っていたのでテントで寝ることは慣れています。ニュージーランドでトレッキングをした時には数日間電気がない体験をしました。」
正直テントで寝るのは好きではないけどこう言うしかない、内心はそんな思いでなんとかクリアしたかと思いきや、面接官は別の質問をした後、また同じことを聞いて来ました。
「あなたは電気のないところで暮らせますか?」
しかも、最初の方に一回、真ん中で一回、最後にまた一回、計3回も(!)
なるほど、私の履歴書だけを見たら、オックスフォード大学院卒業の「エリート」の「お嬢様」に見えるかも知れないし、この人はほんとうに現場でやっていけるだろうか?と相手は確めたかったのだと思う。
今なら分かるのですが、当時の東ティモールの事情を考えたら、確かに、トレッキングの時に電気のない体験をしたことがあります、ではまったく説得力がなかったのです。
相手が聞いているのは、あなたは国連の平和維持活動の一環として東ティモールで選挙支援をしたいと言っているけれども、
本当にそれやる気あるの?
大学院で理論を習うこととも違うよ。
そういうことだったのです。
ありがたいことにその面接官はまたも同じことを聞いてくれました。
3回もこの質問をされた時には、さすがの私も目が覚めたのです。
この質問に対して相手を納得させなければこの面接は通らない!!!
私は覚悟を決めました。
声をやや若干低めに落とし、こちらの本気度が伝わるようにゆっくりめに一言一言話しました。
「はい、私には粘り強さがあります。一度決めたことは最後までやりとげます。」
正解を答えるというよりも、こちらの意気込みが相手に伝わったという感触をようやく得た時、初めての国連面接は終わったのでした。
後で聞いたところによると、実際に派遣されてもインフラが破壊された東ティモールでの生活に慣れず、すぐに辞めてしまう人が多かったとかで、最後まで任務を遂行できるかどうかという点が重視されていたとのことでした。
ところで、東ティモールにおける国連のプレゼンスは何ですか?という質問も聞かれ、上手く答えられなかったのだけれども、合格したので、国連に関する知識よりも意欲が伝わることの方が大切だ、ということをこの時に身を持って学んだのでした。
さて、晴れて採用通知を受け取ると、その感慨にふける暇もなく、その実感もないまま忙しく準備が始まりました。健康診断に予防注射。そして、山ほどの書類にサインをして送りました。
その書類の一つは、宣言(Declaration)というものでした。
「私は国際連合で働く者として、自国の利益ではなく国連憲章の精神を優先することを国連事務総長に誓います」
私は、当時の国連事務総長コフィー・アナンに向けて、心の中で宣言し、署名をしたのでした。この時はさすがに身が引き締まる思いでした。
カンボジア元気日記を読んでからちょうど6年ちょっとでした。
「東ティモールで緊急援助に関わるために本国を通過する許可を与えます」、というオーストラリア政府発行の緊急人道ビザを受け取り、オーストラリアのダーウィン経由で東ティモールに向けて出発したのです。