国連でのはじめての赴任地、東ティモール。
わたしの初仕事は選挙支援でした。
オーストラリアのダーウィンと首都のディリでブリーフィングを受け、同僚と一緒に車で山の中を4時間ほど登りました。
これから一緒に仕事をする人たちはどんな人たちだろう?
これから住むところはどんなところだろう?
もうドキドキです。
そこで一緒になったのは、こんなメンバーでした。
チリ生まれのオーストラリア人、パキスタン人、イギリス生まれのパキスタン人、カメルーン生まれのドイツ人、オーストラリア警察から出向中のオーストラリア人の女性と日本人のわたしでした。
やれ、チリ生まれのオーストラリア人とか、イギリス生まれのパキスタン人とか、カメルーン生まれのドイツ人だの、一見国籍を聞いただけではこの人たちはどんな人たちなのかさっぱり分かりません。
私たちはみんな同じ選挙支援という業務にアサインされた同僚なのですが、母国で長年選挙委員を勤めるというそこで一番年配だったパキスタン人の男性がグループリーダーという役を担うことになりました。
初めての国連。
はじめてのミーティングってどんなんだろう。
ドキドキ。
そのミーティングで、パキスタン人のチームリーダーの口から出てくる言葉はまったく私の予想を超えたものでした。
選挙支援という仕事の説明を簡単に聞いた後でのことでした。
「さあ、これからはじまる選挙名簿を作るための村の訪問についてなんだけど、担当を決めたいと思う。
うーん、訪問しなければならない村は山ほどあるけど女には無理だな。」
えっ??
今、この人みんなの目の前で女には無理だなって言った?!
私は耳を疑いました。
聞き間違いじゃないかと思って隣にいたオーストラリア人の女性の同僚の方を見ました。
国連という組織のことも、仕事内容も、東ティモールという国の事情についても分からなかったし、私は聞き間違いじゃないかと思って(願って)、その時は黙っていました。
ミーティングが終わると、すぐにオーストラリア人の女性の同僚たちと集まりました。
確かに治安状況などが不安定な時期ならば、そういうこともあり得るのですが、そのような状況でもなく、他の部署の女性の同僚たちは別に問題なく職務を行っているということを確認しました。
「ねえ、あの時、やっぱり女には無理だって言ったよね。
なんなの!アレ信じられない!
オンナだから無理って、国連って女性の権利とか平等を謳ってる機関じゃないわけ!!!」
私はもうプンプンでした。
確かに、彼の母国パキスタンでは女性は男性と一緒にご飯を食べることもなければ、女性はほぼ補佐的な業務にしかつかないので、女性が仕事をするのを見たことがないのかもしれません。
とはいえ、男性のチームメンバーには挨拶をするのに女性の私たちには挨拶もそこそこ、しかも、召使いに接するような「命令」口調で私たちに指示をだしてくるのです。
あーーー 悔しい!!!
いちいち、女でもできると主張しないといけないし、ほらみろと言われるのは悔しいから女でも十分以上にできると証明しないといけない。
東ティモールという国のために来たと思ったのに、その前にこの目の前にいる彼の頭の中にある「男尊女卑」という目に見えない「敵」と対峙しないといけない。。。。
なんてこった。
そして、もう一つ、そう時間を経ずにして直面した事実。
それは、国連で働いている人の多くの人が現地の国のことにははっきり言って興味ありません、ということ。
紛争国での勤務では「危険手当」がもらえます。生活環境のストレスやリスクを考えると日本の感覚で言うとはっきり言って全然高くありません。が、母国で勤続30年の公務員でも月収が数万円という国の人たちにとっては、国連の給料と手当は一度に母国での月収の何倍をも稼げてしまう機会になるのです。
そんなまったくけしからん!と言いたいところだけど、世界に経済の格差というものが存在する以上、私もその立場だったら同じことをしないとは言い切れない。。。
そう、国連という組織は、よくも悪くもすべてを含めてまさにリアルな「世界の縮図」だったのでした。
私が憧れていた国連ってこんな組織だったの?!
国際法や国際関係で語られる「国連」も国連。
安保理や加盟国同士が決議や宣言の文言をめぐり駆け引きを繰り広げる場も「国連」。
紛争国の最前線で、100カ国もの人たちが一緒に活動するのも「国連」。
「ここに来る前にね婚約したんだ。ここでの勤務が終わったら結婚するんだ。」
「今度の休暇で国に戻ったらさっそく家を建て始めるよ。」
この人たちは本当にいろいろな理由で国連平和維持活動(PKO)に参加することになり、紛争地の最前線で突然「国連軍」として「国連警察」としてまたは「国連スタッフ」として仕事を始めることになる。
この100カ国以上もの人達は、文化も言葉も違う。
バックグランドもトレーニングも職歴もまったく違う。
なぜ国連に参加することになったのか?その動機も全く違う。
母国の生活水準もまったく違う。
仕事の「基準」ややり方も違うし、なにより日常的な「当たり前」も違う。
国際政治で語られる「国連」と現場での「国連」のギャップにわたしはさっそく大きなパンチをお見舞いされたような気分だったのでした。
そして、そんな日々を終えて戻る部屋はかろうじて屋根があって、ろうそくでほのかに灯がともされるところ。
ああ、わたし、あの時面接官に言ったけっか。
「わたしは粘り強いです。電気のない生活もできます。」