マイストーリー⑧ なぜそこまで学校に行きたいの?

東ティモールでの勤務の後、カザフスタンとニューヨークでの勤務を経て、再び現場に赴任することになりました。今度は、当時世界で一番争いが深いと言われ、40年近くも続いた紛争が終わり、和平合意が結ばれたばかりの南スーダンです。

自ら志願して南スーダンに赴任することになったのは、新しい国を創るという過程に再び関わりたいというか、東ティモールでもらった「宿題」を進めたいというような思いでした。 (ちなみに、国連は基本的には自動昇進も自動更新もない志願制です)。

ニューヨークの本部にいることもできたのに、マンハッタンのど真ん中に住んでいた暮らしから、自ら志願して南スーダンに赴任することが決まった時には、友人たちが「本当に行くの?」ともの珍しいものを見るように何度も私に聞いてきたものでした (ちなみに、国連は基本的には自動昇進も自動更新もない志願制です)。

マンハッタンのど真ん中に住んでいた暮らしから一転、再び数ヶ月電気のない生活になった時にはさすがに私も「ああ、私ってほんとにもの好きだなあ」と思いました。

そして、南スーダンに降り立った瞬間、東ティモールの時とはチャレンジが一気に10倍に上がったような感覚を肌で感じました。

 

争いの深さ、国の大きさ、教育のレベル、これから必要な政府やインフラの規模、南スーダンの人々の気性。。。実際、全てにおいて、南スーダンは私にとっても全く体験したことのない領域でした。

 

さて、南スーダンでの仕事は、除隊兵士の人たちの社会復帰を支援することでした。

南スーダンでは、紛争の最中、生きるため安全のために軍に参加すること、または親や家族が目の前で殺された子どもがそのまま「軍」に参加し、その後兵士として生きることも珍しくありません。

直接的に兵士にはならなくてもほぼ全員がなんらかの形で紛争に関わっているという意味では、メンタリティー的にも誰もが「紛争時代」から「平和の時代」にシフトすることがなんらかの形で求めらます。

 

当時、私が関わっていた国連のプログラム (DDRプログラム)では、新しいスキルや収入を得る手段を身につけるサポートとして、職業訓練、農業、小規模事業と教育などを提供していました。

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⬆️ 出張では外でシャワーを浴び、テントで寝泊まりしたこともあった。

当時、驚くくらい道路も建物もない南スーダンで、職業訓練施設を一つ立てることは文字通りネジから屋根まで一つづつウガンダかケニアから運んでくることを意味しました。

建物を借り、先生の確保し、除隊兵士の人に実際に集まってもらって職業訓練や農業訓練を一つ提供することは、多大な労力を求められます。

そこで私が直面したことー

それは、

そこまで大きな苦労をして、いくら素晴しい職業訓練施設を建てて、訓練を提供しても、当たり前ながら学ぶ人もいれば学ばない人もいるということ、

学べない人の中には、技術的なものを学ぶ前に「あの紛争はなんだったんだ?」という心の整理がまだ終わっていない人がいるんじゃないか?

南スーダンの人たち自身、「あの紛争はなんだったんだ?」という心の整理をしたがっているんじゃないか?ーということでした。

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⬆️ 女性は比較的早く紛争時代の心の整理ができるように見えた。

 

そして、気になったのは、南スーダンの人たちが日常会話の中でまったく疑問なくかわす会話でした。

 

親が子どもに言います。

「アラブ人は人間じゃないから話したらいけないよ。」

そして、「アラブ人」は南スーダンの人たちのことをこう言います。

「アフリカ人は『野蛮人』だからイスラム教が必要だ」。。。

 

私が勉強をたまに見てあげていた高校生のアコルくんの宿題にはこんなものもありました。

「アコル、今日はどんなこと習ったの?」

「今日はね、『今のアフリカの戦略的な課題はなんですか?』っていう質問だよ。」

「へえ?!博士論文みたいな随分難しい質問をやったんだねえ。それでどんな答えだったの?」

「アフリカが貧しいのはアラブのせいです。」

「誰が言ったの?」

「先生だよ」

 !!!

 

個人の偏見や思い込みが宗教や民族の違いに置き換えられ、紛争が終わっても繰り返し受け継がれている「負の連鎖」。

 

職業訓練などの技術的な知識はそれなりに提供することはできるけれども、本当に平和になるにはこれこそどこかで断ち切られなければる必要があるんじゃないか?

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⬆️ ネクタイをプレゼントされるアコル

 

そんな時、学校に行きたいという自称50歳の元兵士の人に会いました。

内戦の影響で、南スーダンの平均寿命は42歳程度なので、日本の感覚では80代です。頭は白髪で、顔にはしわも拡がり苦労を重ねられて来た様子が伺えます。

場所は南スーダン人の友人が開講したばかりの小さな大学でした。大学と言っても小さな建物があるだけです。しかも、バスや電車があるわけもありません。

それでも、この50才の元兵士の人は学校へ行きたいと毎日何キロも歩いて通ってくるのだそうです。

長年紛争で家族や故郷から離れてきた人たち、特に元兵士の人たちが故郷に戻る時、彼らは家族に対する自分の「役割」を果たすという意味でも、収入を得ることを優先します。

だからこの選択はけっして軽いものではありません。

 

「なんでそこまでして学校に行きたいのですか?」

私は思い切って、彼に聞いてみました。

 

彼は私の目をまっすぐに見つめて、ゆっくりとはっきりと言いました。

‘I was fighting in bush all my life. I want to go to school before I die.’

「わたしは人生のほとんどを戦って過ごしてきました。学校へ行ってから死にたいのです。」

 

学校へ行くということ ー

それは、彼にとって、

「人間である」こととほぼ同義語なんだと理解しました。

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⬆️ 一からこの大学を建てた南スーダン人の友人ドン・ボスコ

除隊兵士の社会復帰プログラムではソーシャルワーカーを呼び、微力ながら心のケアを取り入れることになりました。

私は心の課題や平和を生む「教育」とは何か?ーそういうことに興味を持つようになりました。

/マイストーリー⑨あなたは「私たちが可哀想だから来たのか?

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投稿者: blossomjp

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉も職歴も違う人達が ー アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」として「国連職員」として仕事を始めることになっった。。。 国連に「出稼ぎ」に来ている人もハーバード卒業の「エリート」もみんな一緒。カオスでにぎやかな現場で80カ国の人たちが一緒に平和を築くためには?!

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