このスマホ時代に私たちが日々接する情報量は10年前の400倍だそうです。
あまりに多くの情報にどっぷり浸かっているために、身動きができなくなり、人はかえって無力感を感じているんじゃないか?
最近、鬱の診断が増えている要因はこれと関係がある、と指摘する人もいます。
だとしたら、この情報の溢れる時代に、人々が渇望していることとは何なのでしょう?
一つは、「自分という存在を認められること」だそうです。
私自身、南スーダンといった緊張度の高い紛争地で働く内にこのことを実感したものです。争いのある場所だからこそ、人は自分という存在を認められ、理解されることを切実に求めている、と。
私は、たいてい「聞き役」に周ることが多いのですが、こちらが話す・話さないに関わらず、そんな中で相手と接する際に役に立った心構えがありました。
「私はあなたという存在を尊重しています。 」
「私はあなたという存在に関心があります。」
「私はあなたのことを理解したいです。」
これは相手が上司でも同僚でも同じことですよね。
どうしたらこういう気持ちが相手に伝わるでしょうか?
自分が「尊重された」時の体験を思い出してみると、ヒントが見つかも知れませんね。