留学先でいろいろな国の学生と一緒に机を並べる時、
職場で世界中の同僚達とおしゃべりをしている時、
ガツン!って衝撃を受けることがある。。。
ーそれは戦争について。
安保法案に戦後70年談話。戦争反対だけど当時の話しを聞いても正直ピンと来ない。
今の時代を生きる私たちって何を知ればいいの?
「ロスジェネ世代がゆとり世代に伝える『戦争と平和』」3回シリーズ1回目。
私がフィリピン軍の研修の仕事でフィリピンにいた時のこと。
その時のチームは、アメリカ人2人、カナダ人、インド人と日本人の私という5人構成。
週末に少し観光しようということになって、近くにあったバターンの戦争慰霊公園を訪れようということになりました。その慰霊公園とは、第二次世界大戦中に何百人~1万人(日本側は何百人と出張、米側は一万人以上と主張)のフィリピン人とアメリカ人捕虜が亡くなったとされる方々の慰霊碑があるところです。
ハワイ在住のアメリカ人
グアム系先住民アメリカ人
元軍人のカナダ人
元軍人で祖父がインパール作戦に従軍したインド人
すでに戦後3代目にあたる日本人である私
の5人はそれぞれ公園を歩き始めた。。。
アメリカ人とカナダ人の同僚が特に何かを言った訳じゃないけど、彼らの反応を見ているだけで、その慰霊公園が彼らにとって、とても大きな意味を持つ場所であることがすぐに分かりました。
そのバターンという土地は、アメリカ人にとっては、パールハーバーと並ぶ、日本人にとっての広島と長崎、沖縄のような場所であることを知りました。
私にとってショックだったのは、仕事で元兵士の社会復帰に関わり、戦後の和解に関心のある私でさえ、アメリカ人にとってとても重要であるそのバターンという土地について、その時フィリピンに行くまで全く知らなかった事でした。
「同じ戦争」について見ている所が全く違ったのです。
私たちの中に継がれてきた戦争に関する捉え方や記憶、体験があくまでの「こちら側」のものであること、
同様に相手側には「あちら側」の捉え方と記憶、体験があることを思い知らされた体験でした。
今年4月に安倍首相がアメリカ議会でスピーチをした時、日本の首相として初めて「バターン」について言及したと知った時、「ああ、やっぱり」と思いました。
70年もかかったの?とも思うけど、議会でその一言が言及された事は私が単純に想像する以上に大きなことなんだろうと思います。
戦争に対するアメリカ人の視点を知れるものに、フィリピン戦線を指揮していた時代のマッカーサーを描いた映画「マッカーサー」があります。
フィリピンで部下たちが日本軍に降伏、バターンで捕虜になることを知って悔しがるマッカーサーはすっごく「人間的」です。日本で知られるマッカーサー像とは全く違うからこれまたびっくりします。
まず、こんなにも違うものなのだと認識できると、そんな人に会った時、そんな会話になった時に「心の余裕」ができるよね。
その上で一歩一歩お互いの認識に触れていくことができるか?
個人レベルではこの人はどう思っているんだろう?
世界100カ国の人たちの体験と考えを聞くことはその辺のドラマよりもよっぽど面白しろかった。
私が世界中の同僚と一緒に働いている時の楽しみは実はそんなことだったかも知れません。
(写真) 4月の春の訪れを感じるワシントンDC