ミャンマーから帰ってきて、すぐに親に伝えました。
国連で働きたいと思っていること、
そのためには大学院に行く必要があるから就職はしないこと、
国連で働くためには海外の大学院を出た方がいいらしいのでイギリスの大学院を目指すことにしたこと、
そして大学院に入学するまでに少し時間があるからその期間は海外でインターンしようと考えている、
ことを伝えました。
今度は母親だけでなく父親までが出てきて、
「緊急家族会議」が開かれました。
大学院に入るにはどういう手続きが必要なのか?
周りに国連で働いてる人はいるのか?
どれ位の可能性があるのか?
などと質問をされました。
質問されればされる程、科学的にも理論的にも説得力ある説明ができません。
当時はFacebookもなく、ネット上の情報も限られていて、
今ほど「国連」がキャリアの一つとして認識されているわけでもなく、
大学の就職課でそんな話しができるわけでもなく、
私にとっての唯一の頼りだったのは、
「明石康国連に生きる」と「カンボジア元気日記」とカンボジアの体験談の本とアルク出版の「国際協力ガイド」だけだったのです。。。
「緊急家族会議」が結論に近づいてきました。
会議は父親の言葉でしめくくられました。
「そんな夢みたいな事を言ってないで就職しなさい」。
逆の立場だったら私も同じことを言ったであろうと思うのですが、
将来困って欲しくないから就職してもらいたいと娘のことを思う両親と、
「たしかに『夢』みたいに聞こえるかもしれないけど、本人は本気なんだってば」と我が道を進むことを決めた娘。
かくして、
娘と両親は
同じ家に住みながら卒業までほぼ半年も口を聞かなくなってしまったのでした。
最低限の「連絡事項」は妹を経由してなされました。(≧∇≦)
さて、私の方は、
国連という組織はいろいろな国の人が働いているところなので、
海外で働くという体験が将来ぜったいに役に立つ時が来るだろうと思い、
アイセックという団体での海外インターンに申し込むことにしました。
アイセックとは元々ドイツで始まった学生団体で、
世界中にある受け入れ企業と、世界中にいるインターンを希望する学生をマッチングさせる団体でした。
インターンと言っても、数ヶ月〜一年以上フルタイムでその企業の一員として働き、生活費ももらえるので職種によってはかなりやりがいのある仕事ができるという仕組みでした。
英語の試験を受け、
異文化の適応力があるかなど簡単なインタビューの要件を満たしたら、
こちら側のバックグランドや希望を伝え、
企業のオファーを待ち、
互いに希望がマッチングするかを確認するという流れです。
私と同じ時期にアイセックのインターンを希望した人の中にはIT業界や、インドのバンガロールがいいとか、
IT系・技術系の人も多かったのですが、
私の目的は多国籍な環境で働くための体験だったので、
「対人的な仕事」であれば国はどこでもよい、というなんとも大雑把な希望を出しました。
さて、再び季節は巡って再び秋です。風が冷たくなってきたなあと思えばもう卒業まであと3ヶ月半。
さて、ワタシはインターンに行けるのか、大学院に行けるのか、国連で働けるのか?!。。。
両親と口を聞ける時は来るのか?!
海外に行きたいのに親に反対されたら(5)に続く