海外に行きたいのに親に反対されたら (3)

大学2年生の時に香港に交換留学してから日本に帰ってきたのは大学3年生の時でした。

せっかく勉強の楽しさに目覚めはじめた時期でしたが、夏休みが終わるとすぐに慌ただしく就職活動が始まりました。

 

さて、私は何をしたいのだろう?

リクルートスーツとヒールといった外見はなんとか揃えたものの、いざ、就職活動をはじめようとすると、さっぱり分からなくなってしまいました。

「とりあえず」エントリーシートを数十件記入し、何件かは筆記試験も受けに行き、面接も受けました。

 

「なぜ弊社に興味を持っていただいたのですか?」

採用の面接なら必ず聞かれるであろう質問なのに、上手く答えられなかったり、それなりに答えたと思ったのに不合格の通知を受けました。。。

 

私は何をしたいんだっけ?

私には何が向いているのか?

 

周りのクラスメートが内定をもらい始める中、面接で相手に受けそうなことも言えない私ってなんでこんなに不器用なんだろう。。。日々「焦り」がつのる日々でした。

ここの企業に落ちてもここならと最後の望みをかけていたJICAや協力隊にも落ち、自信はさらにガラガラと崩れ落ちていきました。。。

音がガラガラと聞こえるようでした。。。(_ _)

 

就職スーツを着はじめた時には紅葉深まる秋だったのに季節は一週し、秋から冬に、桜も咲き、内定を一件もないままついに夏になりました。

悩みを抱えたままでしたが、夏休みにミャンマーに一人旅に出ることにしました。「旅に出る」といったら聞こえはいいかも知れないけど、ともかくどこか違うところに行きたいー心の中は泣きそうな気持ちで一杯でした。

 

行きたかったパガンというクメール遺跡の地で、

美しい遺跡がポツポツと目の前にいっぱいに拡がっているのを毎日一日中ただ眺めていました。

本当に毎日ただ遺跡を眺めていました。

 

 

100330

 

burma-pagan-1-1998

 

遺跡を眺めて丸3日位が過ぎた位の頃でしょうか、

なんだか突然自分の問題がちっぽけな問題に見えてきたのです。。。

 

そして気づいたのです。

本当は「国連で働きたい」という深い部分での想いがあったことを。

ただ自信がないのでそれを「封印」してきたまま就職活動を始めたことを。

いざ就職活動を始めたものの面接にも落ちまくり、すっかり自信をなくしてしまったことを。

 

そして、国連で働くなんてどんな確率で可能なのかさっぱり分からないけど、

そんな叶うかどうかも分からないことにチャレンジしたいと。

 

「ははは、私ってバカかもしれない。でもそんな自分なんだからしょうがないな」。

ようやく就職活動ができない自分を「諦める」ことができました。

 

海外に行きたいのに親に反対されたら(5)に続く。

投稿者: blossomjp

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉も職歴も違う人達が ー アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」として「国連職員」として仕事を始めることになっった。。。 国連に「出稼ぎ」に来ている人もハーバード卒業の「エリート」もみんな一緒。カオスでにぎやかな現場で80カ国の人たちが一緒に平和を築くためには?!

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