最近、出版社に勤める女性の友人から聞かれました。どうしたら軍人相手に「講師」ができるの?と。
彼女は有能な編集者さんで、自分よりも一回りも年上でベテランの男性ライターさん達をとりまとめるポジションを任されていることもあり、「どうしたら究極の男性社会の代表みたいな軍人の人達があなたの言うことに耳を傾けてくれるの?」という意味でした。
私は見かけも背が高いわけでもなく小柄なので、よくそんなことを聞かれます。
もちろん「苦労」がない訳ではありません。
これはどの国でも誰が相手でも同じだと思うのですが、特に「講師」というポジションの人に対して、聞く側の人というのは「この人は聞く価値があるのかどうか」と自動的にセンサーを働かせるようです。
なので、聞く方は聞く方で相手を観察をするのは自然なことなのでしょう。
少しづつ一方通行の講義から、質問から対話が引き出されてきたら「しめたもの」なのですが、スリランカ軍対象の平和支援に関する研修の一日目で、相手とまだ距離があるなあと感じていた時、最後に質問がでました。
その質問はこんなものでした。「とはいっても、国連は◯◯で何も出来てないじゃないか?」確かに、そのような疑問やフラストレーションは私を含め誰もが感じることです。
これはたまたま国際的な課題についてですが、本質的な議論に入ろうとすると、こういう声が挙るものです。
営業部は新しいシステムの導入に反対してるじゃないか。。。どうせ言っても伝わらないよ。。。等。
その質問に対してはいろんな角度から応えることができると思いましたが、この質問の真意は別のところにあると感じました。その真意とは、
「公式見解じゃなくてあなた個人の意見を聞きたい」
もっと言うと、
「あなたはどういう意気込みでこの課題を捉えているの?」
もっと言うと、
「あなたってどんな人なの?」
もっと言うと、
「僕たちは実際に内戦をしてきた軍隊なんだ。単なる理想主義も理論も信じられない。どうしたらあなたの言うことを信じられるの?」。。。
確かにその通りなのです。
そして、もっと言うと、
「あなたはどれだけ本気なわけ?」
何と応えたかは覚えてないけど、こっちだって本気なんだ!ということをともかく伝えなければいけない!と私も腹をくくりました。
「私個人の意見をお伝えします・・・・」
それ以来、流れがガラッと変わりました。
講師やファシリテーター、チームリーダーの方はもちろん、この原則ってどんな関係にも当てはまりそうです。
相手がどんな人であってもこちらが本気だって相手に示すことー上司、部下、同僚、パートナー、お客さん、クライアント、子ども、両親、兄弟、友人。。。いろんなテクニックはあれど、この威力を思い出します。
さて、「どうしたら軍人の人たち相手に講師ができたの?」と聞かれたのですが、女性だからこそ軍人相手に講師が出来たのだと思うのです。その意味は。。。(2)へ続く