南スーダンで「反政府勢力」と呼ばれる人たちの社会復帰支援に関わったことがあります。
「南スーダン人民解放戦線」(SPLA)と呼ばれる人ですが、この人たちは40年も続いたスーダンの内戦の中で、「反政府勢力」、ある時期おいては「テロリスト」と呼ばれた人たちです。
彼らと接する中ですぐに気づいたことがありました。それは彼らの中の「激怒」と「憎しみ」です。
和平合意が履行されているかどうかを当事者(南スーダン解放戦線と国民会議=NCP)と国連を交え、定期的に確認する場があったのですが、一旦彼らが発言を始めると彼らの怒りが止まらないのです。
自分たちの地域だけ学校も病院もない、南スーダン出身という理由だけで公務員試験さえ受けられない、「野蛮人」と呼ばれてきた等の歴史的背景。そして、停戦は実現したものの、独立はおろか、また紛争が再会するのではないか等、彼らの怒りと不信には根深いものがありました。
何回も会議を重ね、何時間も彼らの怒りを聴いてようやく気づいたことがありました。彼らの本当のメッセージはこうだったのです。
「あなた達はどこかで『なぜこの人たちは殺し合いを続けるのだろう?』
そして
『どうして何時間も怒り続けるんだろう?』と他人事のように思っている。
『私たちはこんなことはしない』、と見下されているようだ」と。
彼らの経験がそうさせるのか、彼らは敏感にその場の「力関係」を感じ取ります。国籍、経済レベル、肌の色、性別、教育、組織、役職といった「力」が圧倒的に強い人が、その自覚なしに、
『冷静になりましょう』とも言おうものなら、それ自体も暴力だと言わんとばかり、彼らはさらに怒り続けるのです。
それは、正式な会議を離れた時でも、一対一の関係でも同じでした。
「あなたは『正しく』て私たちは『間違ってる』?
私たちが『野蛮人』で『可哀想な人』だから助けに来た?」
言葉に出さずとも彼らはこちらの態度を感じ取ります。
同時に、彼ら自身も怒りの「中毒」や「内なる連鎖」に苦しむことにも気づきました。自身が身体を悪くしたり、内紛や派閥主義が起こるからです。例えば、南スーダンの独立後の内戦がこれの例に当たりますが、これももちろん根本的な解決になりません。
また、「力を持つ人」たちも「力を持たない人」の問題に対して無自覚であるがゆえに、彼らの影におびえるという弱さも持っています。例えば、年末(2014年)に米国のミズーリ州で白人警察官が黒人の青年を射殺した事件です。
私たちは長い間対立に耐えられないので、すぐにどっちが「正しい」「間違っている」と決着をつけようとしまいがちです。
誰かを一方的に「悪」とし、排除しようとすれば、その力そのものが更に彼らの抵抗を生んでしまいます。双方の怖れや偏見を一時期氷山の下に埋めるだけです。
9.11の時から、なぜテロが生まれるのかを理解し、根源的な原因に取り組むことが大切だ、と言われてきました。
私たちは、まず、自分の中にある怖れや悲しみに対して自覚的になることができます。
そして、世界で起きていることを知り、世界からどう見られているのか(国籍、経済レベル、肌の色、性別、教育、等も含む)に敏感になることです。
「いい悪い」ではなく、それを無視することでもなく、理解することです。もし自分が恵まれた立場にいると思うのなら、そのことを祝福しましょう。
理解することは怖れや偏見を乗り越える大きな力です。批判したり闘ったりするのではなく、自覚から生まれる力を活かすことができます。