国連じゃないけど、世界で会った「愛あるたのもしい人」(アイタモ)。香港で留学生だった時のルームメートのメイさんです。
彼女は1970年代に中国の海南島に生まれました。両親が文化大革命で糾弾されることになり、必死の思いで12歳の時に両親と兄弟と共に香港に渡ります。
不法移民だったので、レストランでウェイトレスをしながら中学校に通います。早い段階で英語教育に触れるの同級生の中で、最初は英語ができず苦労したそうです。田舎者だと笑われたこともあったそうです。
努力家の性格が幸いし、高校と大学と奨学金をもらい、香港中文大学に入学します。そこでの最終年、今までやったことをないことをやってみようと思い、「交換留学生をルームメートにしよう」プログラムに応募して、日本人のルームメート(ワタシ)と一年間を過ごすことになります。
最初に会った時から気があって、小さい寮の部屋でよく夜遅くまでおしゃべりしました。
彼女の誕生日に彼女の両親のアパートに呼ばれたのでケーキを持参していったのですが、家にはフォークとスプーンがなくて、ぼろぼろのお箸しでケーキを食べたのを覚えています。(家でケーキというものを食べたことがなかったそうです。)
香港での生活が始まってしばらくして、尖閣諸島に日本の右翼が船を乗り付ける事件が発生します。
香港の大学生ってガリ勉タイプの子たちが多いのに、寮の周りの友だち達が全員反日デモに参加して帰ってきた日がありました。嫌がらせをうけるようなことは全くなかったけれど、突然空気がピリピリし始めました。
私は「チカ」という個人から「日本人」として見られはじめ、すごく肩身のせまい思いをした期間がありました。
とても口にだせる雰囲気じゃなかったのだけど、腑に落ちなくて、メイさんに聞きました。「ねえねえ、コニーもアンマンもみんなデモに行ったんだって。なんか今日の雰囲気ちょっとこわいよ。」
メイさんは落ち着いた口調で言いました。
「ほら、わたしの両親って文化大革命で糾弾されたでしょ。人間ってとつぜん集団的に狂気に走ったりできるのよ。
まあ、日本はその対象になりやすいわね。
国は国。チカはチカ。
あなたのことを憎いとは思ってないから安心してね。」
メイさんの腹のすわった落ちつきぶりに安心したものでした。
その後、メイさんは私のクラスメートでもあったアメリカ人の友人と結婚し、中国出身ということでグリーンカードの申請に時間がかかり、不法移民、再びウェートレスからのスタートでした。
ただ、持ち前のがんばりで働きながら大学院に通い、アメリカ国籍もとれ、何十倍という難関を突破してアメリカ連邦政府に入省。連邦政府の中でも難関と言われるUSAIDで働いています。面接では自分で道を切り開いてきたことが評価されたそうです。
プライベートでは、ワシントンDC の郊外に家を3件所有し、彼女を愛してくれるだんなさんと2歳の息子さんと幸せに暮らしています。
あなたの周りに、誰か肩身のせまい思いをしている人はいませんか?ぜひ、あなたがその人にとっての「メイさん」になってあげてくださね。