南スーダンで働いていたというとなんだか「強い」人のように思われそうです。
「芯が強い」とはよく人に言われますが、テレビを見ていてもちょっとしたシーンでぼろぼろ泣いてしまうので、妹やら友人に笑われる位涙腺が弱いです。どちらかと言うと、自分で言うのもなんですが「感じやすくて」「繊細」な方だと思います。
たしかに、課題が大き過ぎて圧倒されそうになったり、紛争地で日本では考えられないような体験を聞いてショックを受けて、こころが「いっぱいいっぱい」になることはあります。
例えば、去年の今頃は南スーダンで内戦が再発して落ち込んでました。それは、感情を持つ人間としてごくごく健全な反応だと思います。
そんな人でも国際機関とか紛争していた国で働けるのかな?という質問が聞こえてきそうです。っていうか、だからこそいい仕事ができたという面は大きいんじゃないかなって思います。
国連にしろ、NGOにしろ、他の仕事も同じだと思うけど、課題はたくさんあっても「正解」はあってないようなもの。
同じ現場にいても、
同じ人の話しを聞いたとしても、
同じ課題の話しを聞いたとしても、
最後の最後に「鍵」になるのは、
ロジカルシンキングでもなく、
大学院で学ぶような理論でもなく、
国連にかんする知識でもなく、
本当の課題を見きわめられるかどうか?
課題というのは、けっきょく人間同士の交わりの中で起こるものだから、
誰が何を必要としているのかを敏感に感じとれるかどうか、
なんじゃないかな、と思います。
時々、実際に貧困や現地に行ってみたらショックだったとか、何もできないって感じてしまった、という感想を聞くことがあります。それ自体もごくごく自然な反応だと思います。
ショックを受けるのは、そこに痛みを感じられるから。
怒ったりするのは、こうしたい!と思うものがあるから。
悔しいって思うのは、もっとこうできたのに!と思うから。
何かをしたいって思うのは、あなたに相手のことを想う気持ちがあるから。
そういう風に感じることは「感じ取る能力」や「才能」として活かすことができますよ。
感情は、あなたとの世界との関わりを教えてくれる入り口になります。
だから、あなたが感じることを大切にしてくださいね。