貨幣も警察もない!「国をつくる」という仕事

私が一番最初に赴任した 東ティモールでは、市場に行ったら3種類のお金が出回っていました。 インドネシアルピー、米ドル、オーストラリアドルです。 中央銀行が機能していない状態だったのです。

トマトを一つ買うのにも毎日値段も貨幣もコロコロ変わりました。「えっ?今日は one dollar??昨日は5000インドネシアルピーだったけど?!

せっかくこの前インドネシア語で5千ルピーっていう意味の「リマリブ」(約50円)っていう単語を覚えたのに、また新しい単語覚えなきゃ(≧∇≦)しかも、ドルで払うと端数切り上げになるから、ルピーで払う方が『お得』なんだよね、と、トマト一つ買うのにも為替も影響する大変な一仕事です。(笑)

また、街では車があっちこっちを秩序なく走っていました。 警察も法律も存在していなかったのです。インドネシア政府が撤退して東ティモール自身の新しい政府ができるまで、まさに「国」の機能が崩壊していました。

軍事的なプレセンスで一時的に紛争を止められることがあっても、けっきょく国が機能しないと平和は定着しないので、紛争をしていた国では、国連が「国づくり」(state-building)の支援にかかわることになります。

紛争が長く続いた国は、建物が焼けてなかったり、政府がほとんど機能していなかったりという状態が多いので、物理的に政府のビルを建てたりということから、憲法を制定する支援という国の理念や枠組みを決める支援も含まれます。

例えば、選挙を実施すること、憲法をつくること、議会を運営すること、公務員を採用すること、カリキュラムを決めること、先生を採用すること、学校を再開することです。

東ティモールのような場合には、警察や税関の制度を決め、それを実際に運営するということまでも含まれます。国連は政府と一緒にそうした作業を行うので、面白いところでは南スーダンには刑務所の整備のためにその分野の専門家が職員としていました。

「国づくり」には山ほどの作業が伴います。

わたしの国連での初仕事は東ティモールでの選挙の運営支援でしたが、人口や状況が分からないので、選挙のための住民名簿を作成するために、村を一つ一つ訪ね、村長さんに「こちらの村の人口は何ですか?」と聞いてまわりました。私がかかわった国連の仕事の中でも一番「歩いた」仕事でした。

ちなみに、東ティモールは国連がかかわった国の中でも「成功事例」で、私がいた一年4ヶ月の間に警察ができ、憲法ができ、学校が再開され、国が正式に独立しました。

実際の仕事内容は言ってみないと分からないのわけ ⇒ https://chikaonaka.com/2015/01/15/わたしの初仕事:「実際の仕事内容は行ってみな/

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⇧東ティモールで行なわれた選挙

投稿者: blossomjp

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉も職歴も違う人達が ー アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」として「国連職員」として仕事を始めることになっった。。。 国連に「出稼ぎ」に来ている人もハーバード卒業の「エリート」もみんな一緒。カオスでにぎやかな現場で80カ国の人たちが一緒に平和を築くためには?!

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