国際法や国際関係で語られる「国連」も国連。安保理や加盟国同士が決議や宣言の文言をめぐり駆け引きを繰り広げる場も「国連」。南スーダンで80カ国もの人が一緒に活動するのも「国連」。
128カ国もの人達が 、さまざまな理由で国連の平和維持活動(PKO)に参加することになり、アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」としてまたは「国連職員」として仕事を始めることになる。。。
80カ国の人が一緒に仕事をすることになると何が起きる?それはとってもサイコーに人間っぽいカオスでにぎやかな現場。
まず、この80カ国以上もの人達は、文化も言葉も違う。
バックグランドもトレーニングも職歴も違う。
なぜ国連に参加することになったのか?も違う。
母国の生活水準も違う。
だから、仕事の「基準」や習慣が違うし、なにより日常的な「当たり前」が違う。「空気を読む」はあり得ないので、毎回毎回言葉による確認とコミュニケーションが求められることになります。
母国ではほとんどパソコンを触ったことがないというアフリカ出身の警察官や軍人の人はたくさんいたし、自国では警察や軍人というだけで偉い立場にあった人も多くいて周りに「命令」ばかりして、おまけに女性とは一度も働いたことがない人もいました。
そこに私みたいな文民で、しかも、20代や30代の女性もいて、みんなが同じチームの一員として働かないといけないという訳で、ご想像の通り困惑やフラストレーションは「しょっちゅう」あったのでした(≧∇≦)。
さて、国連でのはじめての赴任地。わたしは胸に期待を膨らませ、東ティモールに到着したのです。首都のディリでブリーフィングを受け、さらに車で4時間ほど山を登ります。これから一年間一緒に過ごす人たちはどんな人たちだろうともうドキドキです。
さて、そこで一緒になったのは、こんなメンバーでした。チリ生まれのオーストラリア人、パキスタン人、イギリス生まれのパキスタン人、カメルーン生まれのドイツ人、オーストラリア人と日本人のわたしでした。
やれ、チリ生まれのオーストラリア人とか、イギリス生まれのパキスタン人とか、カメルーン生まれのドイツ人だの、一見国籍を聞いただけではこの人たちはどんな人たちなのかさっぱり分かりません。
そして、私たちはみんな同じ業務にアサインされたのですが、一番年配だった年配のパキスタン人の人がグループリーダーという役を担うことになりました。
さて、初めての「国連」にまだドキドキしていた私。
毎朝、このチームでミーティングが開かれることになりました。
チームリーダー:あそこの村の調査が残ってるんじゃないかな?うーん、どうしよっか。オンナには無理だからね、そうだ!ナディーン、君行って。
この方、オーストラリア警察から出向中のとても優秀な女性と、チリ系オーストラリア人と私(女性3人)に向かって、「あなた達は女性だから無理だ。。。」とともかく女性には無理だと平気で言い放つ人だったのです。。。(≧∇≦)
男性のチームメンバーには挨拶をするのに女性の私たちには挨拶もソコソコに、召使いに接するような口調で「命令」されたこともありました。
「なんなの!アレ信じられない!
オンナだから無理だって、国連って平等とかをやってる機関じゃないわけ?」と先進国から来た私たちはけっこう怒っていたものでした。
初の任地だったこともあって最初は様子が分からなかったのですが、あまり同じことが続くので、同僚や上の人に相談したり、最後はトップの人に起きていることを訴えて、結果的にこの人は配置替えになったのでした。
この時に、物事をパーソナルにとらずに、起きたこと(facts)と人(person)を分けること、ほかの人に相談すること、起きていることを客観的に説明できるようになること、こういう類いのことは複数で訴えるとよいこと、できたら他の男性にも加わってもらうことを学んだのでした。
今思えば、彼の生まれた地域では男の子が生まれたら親戚中がお祝いのために集まるけれども、女の子が生まれたら人知れず悲しみ、女性自身が男性の付き添いなしに外出してはいけないという習慣が長年守られ、女性が働くなど考えられなかったのかも知れません。ちなみに、チームメンバーにパキスタン生まれのイギリス育ちの男性(つまりパキスタン2世)がいて、力になってくれたので、「パキスタン人」を「悪者」にしなくてすんだのでした。
ちなみにその数年後、南スーダンでは今度はパキスタン軍の人と仲良くなったのですが、その時の理由が「女性なのに対等におしゃべりができるから」だったから人生何があるか分からない(笑)
80カ国の人たちが一緒に平和を築くには(2)?!「南スーダンの方がマシ」?!⇒https://chikaonaka.com/2015/01/08/80カ国の人たちは一緒に平和を築くことができる-2/