実はわたし、4人のノーベル平和賞受賞者の方にお目にかかったことがあります。会議で、講義で、飛行機で、同じ組織の一員として。。。
ジミー・カーター氏:39代目の米国の大統領を務めた後、近年米国の政策に反するような場所においても、紛争の平和的な解決に積極的に関わる。冷戦のさなか「人権外交」のもと、長年対立していたエジプトとイスラエルの間の和平協定を締結させた在職時の功績は後年になって評価される。2001年の東ティモールでの始めての選挙の時も2011年の南スーダンの住民投票の時も、カーター財団の選挙監視団の存在があり、カーターさん自身も南スーダンに向かい、住民投票の実施を後押ししました。
リゴベルタ・メンチュウ氏:マヤ民族に対する暴力と弾圧が蔓延していたグアテマラの内戦中に家族を殺されながら、軍政との和解を呼びかけた立役者。
マーティ・アハティサーリ氏、元フィンランド大統領でコソボ(バルカン)紛争の仲裁も関わり、アチェ(インドネシア)での紛争の歴史的な終結を導く。
コフィー・アナン氏、7代目の国連事務総長。冷戦の終結後、世界各地で内戦が起こる中、国連の活性化と国際システムの実効性(多国間主義)の強化を図る。国連の平和支援能力の強化にも尽力し、東ティモールで紛争からの復興がはじまろうとする中で、2001年のミレニアムの幕開けの年のノーベル平和賞受賞は国際協調体制をサポートする後押しとなった。
マララさんの受賞スピーチを聞きながら、リゴベルタ・メンチュウさんのことを思い出しました。他の3人が元大統領だったり、大組織のトップという役職を経ていたことも関係しているかも知れません。そうした権限がない状況で、芯の強さがあり、個人としてリーダーシップを発揮した人のオーラというものを感じたような気がします。
その点、「普通」の女の子として、しかも16歳で(!)世界に教育の大切さを思い出させてくれたマララさんには、リーダーシップの視点から見ても、彼女の勇気にはとても力づけられます。
彼女がパキスタンの奥地で生まれながら、ブログで学校に行けない様子を発信して世界と繋がれたこと ー インターネットやブログといった世界とつながるツールを使い、女の子同士の横のつながりが大きな土台を築きつつあることは興味深い流れだと感じます。
今までの受賞者の方々がみせてくださった勇気と献身に敬意を払います。マララさんをはじめ新しい世代の活躍を心から願います ☆☆☆