平和を「仲介する」ということーノルウェー公使に聞きました。

ノーベル平和賞の選考委員会があるノルウェー。そのノルウェーが調停や平和の仲介に大きな役割を果たしています。私が勤務していた南スーダンでも和平合意の時に尽力、ノルウェーはある種の尊敬を持ってみられていました。つい最近もコロンビアでの内戦終結にかかわっています。ニュースや歴史の教科書ではたった一行で終わってしまうかもしれないこれら裏ではどんな「チャレンジ」や「成功」があるのでしょうか?公使自らが答えてくださいました。

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ーノルウェーが仲介に関わるようになった経緯について教えてください。

まず、ノルウェー独自のポジションがあったと思います。ノルウェーに他国を植民地化した歴史がないこと、私たちが小さい国で他国に脅威だと思われていないこと、そうした第三国の和平に関われる外交的な「余力」と政治的なサポートがあったことが挙げられると思います。

ノルウェーが平和の仲介に関わることについて特別な計画があったわけではありません。1990年代初め世界では多くのことが起きていましたが、中東和平が世界の課題の大きな一つとしてありました。中東和平に向けたノルウェーの役割は何か?と議論するうちに、中東和平の当事者たちをまずなんとか対話のテーブルに戻すことはできないか、という模索が始まりました。

ただ、和平プロセスに関わるかどうかには現実的な判断が求められます。最初はまず、当事者の間で少しでもいいから信頼を築いて、解決の糸口を探ることが目的でした。それがとても大切なように思えたのです。ですので、最初から全ての課題をテーブルに乗せることはせず、ともかく対話が持てる環境を保つことを目的としました。これが、結果1993年にイスラエルのラビン首相とパレスチナのアラファト議長が握手をしたあのオスロ合意につながりました。これがノルウェーが和平仲介に関わるようになったきっかけです。

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そして、ノルウェーはその時の経験から多くのことを学び、多くの洞察を得ることになり、以来、スリランカ、フィリピンやコロンビアなどでノルウェーが平和の仲介に関わることになりました。ただ、ノルウェーが関わるのは、あくまでも当事者自身が和平を進める用意があり、ノルウェーが仲介の依頼を受けた時のみです。和平を進めるかどうかを決めるのはあくまでも当事者自身です。例えば、私が以前赴任していたインドで、カシミール紛争におけるノルウェーの仲介が言及されたことがありましたが、ノルウェーがカシミール地域での紛争にかんして特段の知識を持っているわけではないと判断されました。ですので、ノルウェーの役割は常にネゴシエーター(negotiator)ではなく、ファシリテーター(facilitator)の役割です。

ー「仲介」を果たすために実際には何をするのですか?

和平の仲介と言うと難しく聞こえるかも知れませんが、実際の業務は毎回少しでもいいから紛争当事者間の信頼を築いていく、ということに尽きると思います。相手側双方とあらゆるレベルで関係を築き、当事者の間にある共通点を辛抱強く探っていきます。そして、自分の観察したこと、聞いた事や過去の事例をもとに、仲介相手の関心や動向を判断し、その時々でベストだと思うことを提案していきます。何か特別なことをするというよりも、お互いの関係を築くことに毎回ベストを尽くします。それ自体は他の業務とあまり変わらないと思います。

そのためには、政治レベルから実務レベルまで、人材の確保を含めたコミットメントが重要になります。ノルウェーの場合、政治レベルでの強いサポートがあることが助けになっています。ノーベル平和賞の選考委員会は政府から完全に独立した組織ですが、それがノルウェーにあること自体もノルウェーに対するポジティブなイメージに繋がっていると思います。

ーこれまでどんなチャレンジがありましたか?

状況によっては、せっかく対話のテーブルに着いてもらっても、当事者にその意図がない時には和平プロセス自体が行き詰まることもあります。和平プロセスが頓挫すると仲介者であるノルウェーのせいにされることもあります。イスラエルにはノルウェーはパレスティナよりだと言われ、スリランカ政府にはLTTE(タミールタイガー)寄りだと言われました。メディアがそのような論調を展開する時は、ノルウェー外交は「失敗」したかのように写るかもしれません。

ーミットゥンさんはどうして今の仕事につくようになったのですか?

私は学生の頃から歴史が大好きでした。世界がどう動いているのか、自分で感じ、味わい、学ぶことが楽しいのです。ですから、私にとって世界のことに興味を持つのは自然なことでした。世界は相互依存(interconnection)していると思うからです。

例えば、最近ではウクライナ紛争の動向に注目しています。他のヨーロッパ諸国にどう影響するのか、次の展開はどうなるのか、などです。日本に赴任してからは、日本や中国、アジア地域の文化や歴史について学ぶことになり、はじめて南シナ海での紛争について知ることになりました。今日本で暮らしながら、日本をはじめアジア地域について学ばせてもらっていることに感謝しています。

(了)

<ビョーン・ミットゥン氏(Bjørn Midthun)略歴> インド、イギリス、ノルウェー政府外務省安全保障局勤務を経て、現駐日ノルウェー大使館公使。

(聞き手コメント)私が南スーダンで勤務していた時、アフリカ最長のスーダン紛争を終わらせた2005年の和平合意にもノルウェーは尽力し、米英とも国連とも違う「場」を保っていました。その後も動向の激しいスーダン情勢の中でノルウェーは冷静に南スーダンと関わり続けていました。私自身、その存在に「安心」したものです。今回インタビューに応じてくれたミッドタン公使もそのような方でした。「仲介と言っても何も特別なことをするわけではない ー 相手との関係を築くことにベストを尽くすだけです」その言葉を生きる姿が印象的でした。

聞き手:大仲千華

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投稿者: blossomjp

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉も職歴も違う人達が ー アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」として「国連職員」として仕事を始めることになっった。。。 国連に「出稼ぎ」に来ている人もハーバード卒業の「エリート」もみんな一緒。カオスでにぎやかな現場で80カ国の人たちが一緒に平和を築くためには?!

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