スリランカに仕事でスリランカ軍への国連の平和維持活動に関するトレーニングの仕事で行った時のことです。トレーニングの一環としてスリランカ軍の人たちと「和解」について考える機会がありました。「もう戦争はたくさん」「なんで自分の家族が?」「この内戦にはどんな意味があったのか?」「なんでこんな戦争を許してしまったのか?」「『制圧』は正しかったのか?」
シンハラ人もタミル人も、政府も軍もLTTE(タミル解放戦線)も、それぞれに苦しみがあり、もう二度と内戦には戻りたくないという共通した思いを強く感じたからです。
そのうち、スリランカの経験について学んでいたと思っていたのに、日本のことについて学んでいたかも知れないことに気づきました。スリランカの人たちが体験していることは、日本とアメリカにも当てはまるのではないか? ー と。
その時のチームは、アメリカ人、カナダ人、マレーシア人と日本人の私という構成でしたが、アメリカ人の同僚が言いました。
「戦争って『勝つ』方も本当の意味での勝者じゃないよね。アメリカでこんなこと言う人は少ないけど、原爆の投下ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ。戦争に『勝者』っていないと思う。」
「まあ、僕たちの国は昔大きな戦争をしたけどさ、今こうやって日本人のChikaとアメリカ人の僕が一緒に、世界の平和のためのトレーニングの講師を務めているんだから世の中少しは進んでいるよね」と。
彼と勝手に「同志」のような繋がりを感じながら、私も大きく頷いていました。
トレーニングは、このようなメッセージで終わりました。
「スリランカではまだ軍隊は必要ですか?内戦が終わった今軍隊の目的はなんですか?例えば、インドとパキスタンの仲裁など地域の平和に役に立つこともできます。国連の平和維持活動に参加することもできます。戦争をした国だからこそ平和の大切さを示すという選択もあります。」
戦争を体験した国だからこそ世界に伝えられる価値というものを改めて思いました。