スリランカ内戦の当事者と話しをしたら(1)

スリランカに軍のトレーニングの仕事で行ったことがあります。スリランカでは長い間、シンハラ人とタミル人の間で内戦があり、当時、スリランカ軍と言えば、内戦を「制圧」した際に何千人もの一般市民を犠牲にすることをゆるしたとして、人権団体や国連の人権委員会などから批判を受けている対象でした。

内戦の終結から2年が経っていましたが、ちょうど、スリランカの人たちが戦争の傷に向き合い始めた時期と重なっていたようです。

「もう戦争はたくさん」「なんで自分の家族が?」「この内戦にはどんな意味があったのか?」「なんでこんな戦争を許してしまったのか?」「『制圧』は正しかったのか?」ー

シンハラ人もタミル人も、政府も軍もLTTE(タミル解放戦線)も、それぞれに苦しみがあるのを感じました。同時に、もう二度と内戦には戻りたくないという共通した思いも強く感じました。

そんな環境にいたので、私は気づいたら「どうしたら人は和解に向かえるのか」と考えていました。内戦を「制圧した」と批判されていた軍ではありましたが、研修で彼らと過ごすうちに、「彼らも和解に向かいたいのではないか?」と感じ、彼らと一緒に和解について考えてみようと決めました。

もしあなたが国連要員として、とある紛争が終わったばかりの国(架空の国)に派遣されたら?という想定で、南スーダンの事例を少しアレンジすることにしました。架空の国という文脈を使うことで、より軽く自由に発想ができるようになる効果があります。

「被害者」は加害者に事実を認めて欲しい、どんな影響があったのか理解して欲しいと望み、「加害者」は、被害者に対面するのが怖く、やはり「加害者」の傷を理解して欲しいと望みます。「両方が傷を負うという意味においては、両方ともが被害者なのです」ーそのような話しをしたと思います。

彼らの中には内戦の前線で重傷を負ったり、仲間を殺された人もいたのですが、彼らの中にさえ(だからこそ)「相手を赦したい」「和解・平和を選びたい」という思いがあるのをはっきりと感じました。

そのトレーニングには、スリランカ軍の訓練センターのセンター長の大佐の方も参加してくれていたのですが、そのテーマの後、その方が私に伝えてくれました。

「私は自分の目の前で部下を何人も殺されたのだけれども、タミールタイガーを赦したいと思っている。自分が楽になるためにはそれが必要だと感じるから。」

戦争に「勝者」はいないと思いました。

そのうち、スリランカの経験について学んでいたと思っていたのに、日本のことについて学んでいたかも知れないことに気づきました。。。スリランカを通して学ぶ日本のこと(2)に続く

投稿者: blossomjp

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉も職歴も違う人達が ー アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」として「国連職員」として仕事を始めることになっった。。。 国連に「出稼ぎ」に来ている人もハーバード卒業の「エリート」もみんな一緒。カオスでにぎやかな現場で80カ国の人たちが一緒に平和を築くためには?!

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